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鬼虎様へ

kage

2014/08/20 (Wed)

鬼虎様へ

 当会の『2014.02.20教育委員会への「告発書」』に対し、貴殿より次のコメントが投稿されました。
 
城跡ではないとは??
あの大堀切どう説明しますか?
城が解る人が見れば誰が見ても城跡です。のろし台の為にあのように大きな堀切を作ったり石垣を積んだりしたと、考えるのですかね??
2014.08.17 13:36

 上記コメントに対して、告発書の提出者である「伊藤氏」より、当会宛てにFAX送信がありましたので掲載します。

【以下、FAX送信文のまま】

館山城跡について管理人から鬼虎様から書き込みが有ったむねの連絡いただきました。
館山城は狼煙台跡では絶対にない。大きな堀切の存在をどの様に説明するのか。
山城の研究者には「山城」であることは明白であるとの事のようであります。

説明します。
発電所用地が「山城」と呼ばれている理由に、正保年間に幕府に提出した「上杉城下図」に、「山城」の記載があり、それで当該地が「山城」と称されているだけで、貴殿の申す誰が見ても「山城」である説は、推測・仮説であり、考古学的には採用されるものではありません。

巨大な空堀との指摘。 あの程度の「薬研堀跡」は大きいとは言えません。
田沢道の駅前方の、伊達氏狼煙台跡と伝承されている砦跡にも、同類の空堀跡が残っ
ています。(田沢コミニュティーセンターヘお聞き下さい)

「館山城跡」遺跡と称する地では、前代の空堀跡を埋め戻した整地屑上部に、打ち込みハギ石垣積跡が発見されたと報告。

5~6mくらいの空堀を、わざわざ埋め戻して、敵が侵入しやすくする意味こそ、山城研究者の貴殿に間いたい。

中世の軍事・防御施設には、家族の住まう舘から、臨時に設営した多機能型砦まで「城舘」と呼んでいたようです。山に設営した防御城舘砦を総称して「山城」と呼んでいたようです。規模の大・小は問わないようです。

意見をお待ちしております。

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kage


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