亀石

2014/06/04 (Wed)
亀石市教委は市職員手塚氏説の舘山城は「16世紀後半に伊達政宗の命令で築かれた」と発表していたが、これに「告発書」を突きつけ異議を唱えたのが一般市民の伊藤氏だ。
この告発書に市教委も反応した模様で朝日新聞で次の様に報道された。
『米沢市の舘山(たてやま)城跡から見つかった石垣の謎が深まっている。市教委は「16世紀後半に伊達政宗の命令で築かれた」と発表していたが、より新しい慶長年間(1596~1615年)に確立した技術で造られた可能性が高いことが分かった。その頃は上杉景勝が米沢を治めていた時期と重なる。市教委は26日から発掘調査を始め、7月には検討委員会を立ち上げて、石垣が築かれた時期を探る。』(朝日新聞より)
行政マンとは自分の過ちを認めない人種のようで、市民の指摘で方向を変えるのは異例である。
これが鷹山公の名言「過ちては、改めるに憚る(はばかる)事なかれ」に従うキャロライン効果なら嬉しい限りであるが、山口昇一企画調整部長は過ちを指摘された時「記憶にございません」・「民民の問題なので・・」と嘯(うそぶ)いた。
このような出鱈目を議会は看過すべきでなく、6月議会でしっかり議論して貰いたいものだ。
ところで、「亀石」だが、福島県の穴原温泉近くに有る大きな石で、伊達政宗が仙台城の庭石にしたいと取りに来たと伝えられるものだ。

ざっと見200トンは有ろうかという大石で、当時の技術では運び出せなかったのは当然で有ろうが、運びだそうとした伊達政宗のスケールの大きさを感じさせるエピソードは、舘山城が伊達政宗の居城では無いとする説が納得出来る「亀石」であった。

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