ケネディ大統領と木村武雄

2013/12/16 (Mon)
ケネディ大統領と木村武雄キャロライン・ケネディ米駐日大使が11/27、都内での講演で、「父ジョン・F・ケネディ元大統領が、江戸時代の米沢藩の名君とされる上杉鷹山を尊敬していたと」述べた事から、大使を招請する話が県を挙げて活発になってきた。
ケネディ大統領が記者の質問に、「尊敬する日本人は上杉鷹山」と答えたとする逸話は、その信憑性が取りざたされていたがキャロライン大使の講演で、それが真実と分かり米沢市民に取ってうれしい限りである。
ケネディ元大統領が上杉鷹山を何で知ったかは定かで無いが「若しかすると」とする話を木村忠三県会議員より聞いたのでご披露したい。
木村武雄は明治35年生まれで、木村完爾元県会議員の父であり、木村忠三県会議員の祖父である。
氏は米沢市議会議員、山形県議会議員、衆議院議員を歴任し、昭和58年に黄泉に旅立ったが、田中角栄内閣では建設大臣を拝命、元帥と呼ばれ絶大なる力量の代議士であった。
よってその功績は素晴らしく、栗子峠・大峠の改修工事を始め八幡原工業団地等の大型国家予算を米沢市にもたらし、その多大なる貢献は死後30年経った今でも多くの信者(支持者)の語り草となっている。
米ソ冷戦・キューバ危機の昭和37年、木村武雄は佐藤栄作、橋本登美三郞らと共に欧米視察でケネディ大統領と会談を行った。
その時、木村武雄はオタカポッポを手土産に上杉鷹山の話をしたところ、ケネディは大変興味深く聞き入ったという。

そして晩餐会ではケネディ、佐藤栄作、木村武雄が歌を披露し和やかな雰囲気の催しであったという。ちなみに木村武雄が披露した歌は「人生劇場」とのことだ。
ケネディが「尊敬する日本人は上杉鷹山」と答えたのは、木村武雄からの話からとするには確信は無いが「もしかして」との思いも抱かせるエピソードある。
木村武雄の功績に未だに感謝する多くの人たちによって昨年11月、田沢道の駅向かいに銅像が建立されたが、今年11月のキャロライン・ケネディ米駐日大使の話は、木村武雄とケネディ大統領の因縁を何か感じさせるものだ。
木村忠三県会議員は既に外務省と連絡を取り、今月20日には打合せを行う手はずとの事なので、県と協力し是非とも米沢市にキャロライン・ケネディ米駐日大使をお招きしたいものだ。
しかしながら、仮に大使が本市を訪れた時、上杉鷹山公を顕彰する米沢市民をどのように評価するか気がかりである。
郷土の偉大なる先人であるなら大抵はそれを顕彰する公的な施設が有るのが普通ではなかろうか。
米沢御堀端史蹟保存会が毎年4/28に鷹山公の隠居跡「餐霞館」で例大祭を執り行い、「なせば成る」の色紙を頒布しているがマイナーなイメージは否めない。
小生は「無駄な図書館よりNHK放送局跡に先人顕彰の舘を」と2年前、安部三十郎市長に要望書を提出したが梨の礫である。
これを機会に「NHK放送局跡に先人顕彰の舘」の建設運動が活発化する事を願うものだ。

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