町名変更

2020/10/06 (Tue)
町名変更江戸時代の封建的身分に士農工商という身分制度があったことは多くの国民の知るところであろうが、その下の身分に穢多非人(えたひにん)があったことは、現代では殆ど知られていない。
穢多は斃牛馬(へいぎゅうば)処理、皮革の加工、農業や雑業的手工業などを行い、非人は主として乞食(こじき)をしたが、刑場の特にむごい下役には非人が従事させられ、一般庶民との交際を禁じられるなど、厳しい差別を受けた。
このような封建的身分は明治維新の改革で廃止されたが、蔑視(べっし)と迫害は続き「部落差別」として今日にまで禍根を残している。
全国各地に穢多非人の住む地区があり、米沢も御多分に漏れず存在したので、小生が幼少の頃は「その地区に近づくな」と諭されことを覚えている。
1962年5月10日に、町をわかりやすくしたり、郵便物を配達しやすくしたりすることを目的にした住居表示に関する法律が施行され、それまでの通り名である町名が区画名に変更になった機会に、「部落差別」を受けていた町名を変更した自治体が多かったが、何故か本市では「部落差別」の町名がそのまま残ってしまった。
桜木町や丸の内と町名を変える前に、部落差別を受けた町名を変えるのが妥当と思うが、何故旧町名が残ったのか今でも疑問に思っている。
現在その地区に住まわれている、ある御婦人から「町名変更をしたいから調べてほしい」との依頼があったので、市役所の案内係に尋ねたところ担当部署は財政課とのことなので財政課のA係長と面談した。すると「うちの課ではないので調べて御返事を差し上げます」とのこと。
その日のうちに返事が来て「担当部署は市民課です。町名を変更するにはその地区住民の承諾をとり要望書を出してください」とのことだった。
早速御婦人に報告申し上げたが、今の若い人には穢多非人を知る人も少なく、60年近く使用している町名を変えることに住民の賛同が得られるかどうかは疑問に思った。

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