最後の殿様

2019/08/26 (Mon)
最後の殿様当サイトが自由闊達なる意見交換の場となる事を望んでいる。
【最後の殿様】
米澤藩最後の殿様は上杉茂憲(もちのり)公だが市民には馴染みが薄い。8/25没後100年に当たることから「先人顕彰会」は「茂憲公没100年記念」と称しシンポジウムを開催したので聴講した。その報告をしたい。
(基調講演の要約)
茂憲公は13代米澤藩主だが明治政府の廃藩置県により、県令として沖縄に赴くことになる。島内をくまなく視察し、困窮にあえぐ庶民のすがたを目の当たりにした公は、再三改革意見書を政府に送るも無視され続けたが、人材育成に心血を注ぎ、それが後年実を結んだことから今日も沖縄では敬愛されている。
公に加えて、米沢市出身の建築家「伊藤忠太」は、首里城正門が取り壊されることを耳にし、その価値を訴え保存と修復に尽力した結果、現在は国宝に指定された事に島民は感謝している。
上記のような歴史的経過から1994年に沖縄市制20周年を記念して米沢市と沖縄市は姉妹都市を締結する。夏場、市役所職員はシーサイドにいるかのような服装で職務に当たっているが、南国沖縄に倣ってのこと。
行事としては、夏は米沢の小学生10名が沖縄へ、冬には沖縄の小学生が米沢へ訪問し、相互にそれぞれの文化等を学び交流を深めている。
「茂憲公没100年」の他、今年は市制施行130年に当たる。米沢市は日本で最初に市制が施行された全国の37市の中の1市であり、その時東北では仙台、盛岡、弘前、山形、米沢、秋田、が指定された。
この様に130年前の米沢市は全国的にも一目置かれる立場であったが、今となってはどうだろうか?
東根市の市長は土田正剛氏だ。県議より県知事選に挑戦したが敗戦し、その後市長に就任した。土田氏は人口問題や工業出荷額に取り組み、その手腕は高く評価される。
米沢市長選が3ヶ月後に迫り、土田正剛氏のような有能な市長の誕生を望んでいる。

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