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戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ①

kage

2018/10/10 (Wed)

戊辰戦争150年 雲井龍雄は・・・ ①

 今から150年前、テロ行為にて政権を奪取しようとする薩長は、東北諸藩に会津・庄内藩の討伐を命じた。此の命に米澤藩・仙台藩を中心に「薩長の行いに義は無い」と「奥羽越列藩同盟」をもって立ち向かったのが東北の戊辰戦争である。

 この時、米澤藩士雲井龍雄は、薩摩の行動が如何に理不尽で義の無いものであるかを書にしたため諸藩に送った。これがいわゆる「討薩の檄」で、これにより「奥羽越列藩同盟」参加藩の士気を大いに鼓舞したという。
戊辰戦争150年を期に、教科書とは違う「薩摩藩の悪行」を下記の雲井龍雄による討薩檄から認識してもらいたい。

【討薩檄】(大意)
 はじめ、薩摩の賊はもっぱら尊王攘夷を主張したが、兵乱の末、政治を勝手に取り仕切るに及んで、急に外国に迎合しその歓心を買い、万国のあざけりとあなどりを受けるに至る。尊王攘夷の主張は、ただ幕府を倒すための悪だくみだったのか。
 薩賊が権力をほしいままにして以来、ついに皇国の制度や定めは、跡形もないように廃れるに至った。摂家や清華家をしりぞけ、皇子・皇室を奴僕視し、みだりに己におもねるものを登用して、綱紀は乱れその極に達している。
 もともと、力ある者が軍隊を動かす場合は、公平な議論の結果、罪科を決めたのちに討つべきにも拘らず、突然、錦旗を掲げて幕府を朝敵におとしいれ、征東の軍を起したのは、私ごとの怨みを晴らすための悪だくみでなくてなんであろうか。
 薩賊が東に兵を進めて以来、土地を侵し財産を掠め、鶏牛を盗み婦女を犯し、むごたらしく人を殺して恥じることなく、官軍の名を藉りて太政官の規則だという。これは、今上陛下に暴虐無道の君主の汚名を被せるようなものといえる。
 また、徳川の親族及び勲臣を使って、その主君を討たせるのは、薩賊も人として守るべき、君臣の義・父子の親・夫婦の別・長幼の序・朋友の信など五つの道と、君臣・父子・夫婦の三綱を破滅させ、今上陛下の治世のはじめに、大きな乱れを生じさせるものだ。
 これらの罪のすべては、どうして問い糺さずにおられようか。
 以上の諸点からすれば、薩賊の行動は、幼帝をおどし従わせて邪悪に走り、天下をあざむき、至るところで残忍かつ乱暴にふるまい、人の道を破壊し古くからのおきてを絶滅するなど、古今にその類をみない。
 わが列藩はこれを傍観するに忍びず、幾度も京都において上奏するも、宮廷に達することはなかった。ここで勇を奮って賊徒を征伐しなければ、天下は何によって暗黒の闇から解放されようか。
 あえて勝敗や運不運を問題とせず、奮ってこの正義のための企てに、同調してくれるよう主張する。およそ四方の諸藩で忠誠の志をおなじくするものがあれば、願わくはわが列藩を助け、皇国のために誓ってこの賊を破り、もって天上にある歴代の天皇の霊を慰め奉ろうではないか。
【続く】

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