色部長門守「碑前祭」

2018/08/30 (Thu)
色部長門守「碑前祭」8/26、戊辰戦争150年に因み、米沢御堀端史蹟保存会による色部長門守「碑前祭」が、遠くは千葉・山形からの参列者を得てしめやかに執り行われた。
家老職の色部長門守は、戊辰戦争に於いて官賊(官軍と名乗る西軍)が攻め来るであろう新潟港の守りと、新潟の治安を守るべく総督としてその地に赴き、新潟港から上陸した官賊との戦禍を新潟に及ぼさぬよう、郊外の関屋にて抗戦したが、銃器に勝る官賊の銃弾に倒れ、新潟関屋の地で果てたのであった。
敗戦処理として明治政府から米沢藩の責任者を差し出すよう命じられたとき、米沢藩は既に亡くなっている色部長門守を届け出、当時は命より重んじられた家名の断絶処分が下された。こうして色部長門守によって米沢藩は護られたのである。
新潟では色部長門守の功績に感謝し、昭和7年に顕彰碑が建てられたが、米沢市にはそれが無いことは恥辱であるとして、昭和37年篤志家により現在地に「色部長門追念碑」が建てられた。
しかし、NHKラジオ中継局建物の裏にあり、それこそ恥辱であるとして、小生はNHKラジオ中継局の移転を大物政治家の協力を得てほぼ可能となったとき、我妻企画調整部長は「民間が介入して移転問題を進めるとうまく行かなくなるので、これからは市に任せてくれ」と言って2年経過した現在、NHKとの移転交渉は途絶えてしまった。
その後の移転交渉経過報告会の開催を求めると「報告するものがないので報告会は開かない」と、「遅れず・休まず・働かず」の金科玉条を守るに必死の当局である。



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