関屋の色部長門碑前際

2018/06/04 (Mon)
関屋の色部長門碑前際この所、戊辰150年や直江兼続400回忌のイベントの準備に忙殺されている。6/3は関屋の色部長門碑前際に参加した。
米沢藩家老の色部長門が戊辰戦争の全責任を一身に受け、米沢藩を護った事は既に述べたが、新潟港を守るべく戦地に赴いた色部は、西軍と戦っただけでは無く、荒廃した新潟の治安を平定したことから、昭和7年には、彼が戦死した新潟県関屋地区に顕彰碑が建てられ、新潟市民には現在でも感謝の念が引き継がれているようだ。
米沢市民としても戊辰150年を機に関屋での碑前祭を行おうと計画していたが、米沢観光コンベンション協会も企画した事からそちらに参加した。
碑前祭は中川市長も参列の米沢市民総勢45名が焼香を行い、その後、戊辰戦争縁の地を巡ったが、ボランティアガイドの「西軍は戦死者を葬る事を禁じ、それを見かねた地元民が密かに此の場所に埋葬したため、今でも相当数の遺骨が眠っている」との説明に、「西軍は会津だけで無く、新潟でも非道の限りを尽くしたか!!」と、「西軍は官軍ならずテロリスト部隊にすぎぬ」との思いがこみ上げた。
写真は左より、[色部長門顕彰碑] [会長挨拶] [念仏寺住職による供養] [市長焼香] クリックで拡大




[関屋で戦死した米沢藩士四名の墓] [念仏寺大御堂] [大御堂内部] [金鉢山、西軍陣地跡石標]





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