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戊辰戦争と明治維新⑤

kage

2018/01/18 (Thu)

戊辰戦争と明治維新⑤

【歴史認識のあやふや】
 小生は、「我が国は江戸幕府が鎖国を行っていたので西洋に後れを取っていた。薩長連合軍が江戸幕府を倒し、海外諸国と交流したので日本の近代化が進んだ」と認識していた。
 しかし、1858年に、江戸幕府の大老、井伊直弼が日米修好通商条約に調印し、開国した事にテロを持って阻止したのが、尊皇攘夷論を掲げる長州藩達であった。

 尊皇攘夷とは、天皇を敬い外国勢を打ち払うという思想であり、長州藩はバリバリの攘夷派であるから、開国を目指す江戸幕府と、鎖国を続けようとする長州藩との諍(いさか)いが戊辰戦争に繋がったと考えられる。
 
 不可解なのは西郷隆盛の薩摩藩だ。当初は長州藩の尊王攘夷論に対して、公武合体論(こうぶがったいろん=公は天皇、武は幕府)で、会津藩と共に長州藩と戦っていたのに、突如、薩長同盟(1866年)を締結し、長州藩と共に「倒幕」へと態度を豹変させるとは。

【坂本龍馬の暗躍】
 この薩長同盟は「坂本龍馬」が仲立ちしたとされている。この頃の龍馬は海外と貿易し、優秀な海外の兵器を国内で販売しようと考えていた。そこで目を付けたのが、薩摩藩と長州藩である。
 外国を排除する攘夷論者の長州藩が海外と交易することには矛盾があるが、龍馬は、長州藩の真の目的は尊王攘夷に非ずして、倒幕後に政権を掌握することにあると読んでいた。
 又、薩摩藩も「蛤御門の変」の後は、倒幕後に政権を掌握する野望のある事を感じていた。

 この青天の霹靂とも言える薩長同盟が成立するには、次の事件が両藩に大きな影響を与える。

■1863年 生麦事件(薩英戦争)
 薩摩藩の行列を横切ったとして、イギリス人たちを殺傷する。怒ったイギリスは、艦隊を鹿児島湾に派遣して街を砲撃した。薩摩藩は応戦するも完敗する。
■1863年 下関事件
 薩英戦争と同じ1863年、長州藩は下関沖を通る外国船(アメリカ、フランス、オランダ)を次々と砲撃した。怒った外国勢は翌年17隻の連合艦隊を編成して砲撃したので、敵わないと思った長州藩は和睦する。

 このように、薩長藩は、外国の兵器が優れ、争っても敵わない事を痛いほど学習した。
 
 坂本龍馬は、水と油の関係の薩摩藩と長州藩を結びつけるのは、両藩の真の目的である「倒幕後の政権掌握」にあると考え、「薩摩藩と長州藩が手を組み、私が兵器を提供すれば江戸幕府を倒す事が可能である」と持ちかけたのであろう。

 この時、幕府に武器購入を持ちかけなかったのは、未だ勢力を保っていた幕府が強力な武器を手にしたのでは、諸藩は恐れをなし、大きな争いに発展はしないと読んだのであろう。
 
【続く】

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