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戊辰戦争と明治維新①

kage

2018/01/13 (Sat)

戊辰戦争と明治維新①

戊辰戦争の発端「鳥羽伏見の戦い」
 江戸時代末期の慶応3年10月14日(1867年11月9日)江戸幕府第15代将軍徳川慶喜が政権返上を明治天皇に奏上した。これが世に言う「大政奉還」だが、この時点で天皇に政(まつりごと)を行う能力は無く、大政奉還後もこれまで通り幕府が政を行う事に変わりは無かった。

 薩摩・長州の目的は大政奉還に有るのでは無く、徳川幕府からの政権奪取であったため、薩摩の大久保利通や公家の岩倉具視らは徳川慶喜の辞官納地(内大臣の辞職と領地の返納)を決定し、徳川幕府の勢力を徹底的に排除し倒幕方針を採ろうとしていた。
 しかし、何も悪い事をしていない徳川幕府から武力で政権を奪うのでは、世間の納得を得る事は出来ないと考え、西郷隆盛は薩摩藩の藩士らに命じて、1867年10月ごろから江戸で放火や強盗を行うなどして旧幕府勢を挑発したのであった。

 江戸警備に当たっていた庄内藩士らは、その挑発にのってしまい12月25日に薩摩藩邸を焼き討ちにする事件を起すと、これをきっかけとして、ついに大阪城にいた旧幕府勢も1868年1月3日に京都の鳥羽・伏見に向かって兵を挙げたのが鳥羽伏見の戦いだ。
 兵は、幕府軍15,000に対して、薩摩藩、長州藩ら新政府軍は5,000ほどで、当初は一進一退の攻防が繰り広げられていた。

 そもそも、この戦いは薩摩藩と旧幕府側の勝手な私闘。つまり、本来、朝廷には関係がないのだが、岩倉具視が官軍の証である「錦の御旗」を制作するよう薩摩の大久保利通や長州の品川弥二郎に指示し、1月4日、新政府軍は勝手に作った、この「錦の御旗」を掲げて進軍した。

 これは朝廷の軍であることを表す旗で、天皇が認めた証になり、敵対する者は賊軍とみなされてしまうので、旧幕府軍としては、天皇の象徴に向かって弓を引くなんてできないと、士気は下がるばかりであった。
 また、どちらにつくか態度を曖昧にしていた諸藩も天皇の敵になることを恐れて新政府支持を次々に表明。天皇への忠誠を示すために新政府側に寝返る藩も続出となった。
 この状況に慶喜は突如、大阪から江戸に戻ってしまい幕府軍は自滅するように大敗してしまったのである。

 鳥羽伏見の戦いの後も旧幕府軍と新政府軍の戦いは続き、この年が干支で言う戊辰の年であったので、「戊辰戦争」と呼ばれている。
【続く】

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