事前運動ではないのか「市長への手紙」の疑問?

2011/06/02 (Thu)
6月1日発行の広報よねざわ誌に掲載されている「市長への手紙」は選挙の事前運動にならないかと選挙管理委員会に電話してみた。あいにく文化センターで行なわれている「明るい選挙委員会」に職員全員が出席しているのでと、留守番の女の子が応対に出た。
老生は思わず吹き出しそうになったが電話をくれるように頼んで受話器を置いた。
「市長への手紙」の趣旨には賛成だが、多くの市民の声を幅広く活用しょうとするものでなく単なる売名と票集めの手段としか思えない。
現に議会を傍聴すると議員の質問に答える安部市長の姿を8年間見たことがないし各地で開かれている「市長を囲む会」では、質問・要望は一切認めないと聞く。
市長を囲んで市民が会合をもつというなら身近な質問・要望がつづくものであろうところが市長は要望など一切、聞く耳をもたず予定にない質問をすると怒って退席する始末である。
定例記者会見でも予定にない質問だとして途中退席したことから抗議を受け、後日訳の分からない弁明をして顰蹙をかっている。
市長が最も得意とするのは年寄の肩揉みだと聞く。
肩を揉むとかは「按摩マッサージ師」の仕事として市政に精を出すべきであろうと市民はそう望み期待するものである。
「市長への手紙」は一見して、市長と市民との距離の近さを感じさせ、いかにもその町は平和な町であるかのように見えるが、事実はそうでない現実がある。
安部市長は人の意見を聞かない。市の職員との意見対立から「市長とはこれ以上仕事を続ける気はないよ」と多くの部長職らの早期退職らが一様に語るのはどうしたことか。
市長としての権力をフルに発揮して我が儘仕放題にしている現実はどうだ。
少なくとも正常な感覚を持ち合わせていない誠に情けない人物であるが米沢市民が 選んだからには仕方があるまいが、笑われるのは米沢の市民だけだ。
老生が数年前「市長に面接したい」旨を申し入れたが「会いたくない」と一瞥され 断られたことがある。
そこで老生は内容証明便で抗議したが未だに返答はない。
例えば市庁舎の使用規定には禁止されている項目がある。禁止されている項目の中にある「但し市長の許可があればいい」を活用して「自由の風」なる「のぼり旗」を市長室の入口に立て掛けて来庁者が怪訝な顔をしながら通りすぎてゆくのだ。
市庁舎は公的な建物として、自陣の選挙旗印として便用したものを持ち込むことなどは歴代のどの市長も成したことのない事例であるが、安部市長は議会で「市長が許せばいいのだ」と堂々と得意気になって述べ、現在がある。
老生はとのとき傍聴席にいて「この人物の頭脳は正常じゃない」と思い、米沢市の市政を案じて4年間を過ごしたが、不幸にして次の4年間を迎えてしまった。
どんな縛りがあろうとも「市長への手紙」は選挙の事前運動に抵触する行為に違いない。

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