ずいずいずっころばし

2017/09/06 (Wed)
ずいずいずっころばし今年は伊達政宗生誕450年に当たり、仙台では色々な企画が催されているが、米沢市にとっての来年は、戊辰戦争から150年・鷹山公入府250年・直江兼続公400回忌に当たる。
※[入府(入部)=領主・国司などが、その領地・任地に初めてはいること]
現代に生きる我々であるが、心のどこかに歴史の片鱗を抱(いだ)いて生きているもので、米沢に生まれ、米沢に生活する者は、好むと好まざるとにかかわらず、上杉文化・伊達文化の影響を承(う)け、さらに後世に伝えられて行くものと思われる。
米沢御堀端史蹟保存会に属する小生は、節目に当たる来年に何らかのイベントを催したく思っているので、当ブログの訪問諸兄に何らかのアイデアがあれば教示願いたい。
上杉伊達文化とは全く関係無いが、八王子の歴史好き友人から「ずいずいずっころばし」に関する一文が寄せられたので紹介したい。
『遊び歌「ずいずいずっころばし」の歌詞には重い意味がこめられていたのである』の前文に続き、要約すると以下のような内容だった。
江戸時代には「お茶壺道中」と呼ばれる行列があり、宇治でとれた茶を江戸の将軍家(徳川家光)に献上した。その行列の人数は550名にも及び、御三家に次ぐ格式が与えられていたから、参勤交代の大名と鉢合わせをした場合には大名の方が道を譲らなければならず、一般庶民に至ってはかぶり物をとって街道脇に土下座しなければならなかった。
そのような行列であるから、「お茶壺道中」が近づいてくるのを知ると、街道沿いの住民は慌てて戸を閉め、子ども達に音を出さぬように家に籠もり、行列の通り過ぎるのを待って表に這い出す光景を歌ったものとして、歌詞の内容は「胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家族は家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教え、お茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。ところで家の中で息を潜めていると、米を囓っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる」と解説していた。
このように歴史は受け継がれるものであるから、来年は上杉の歴史を伝えるイベントを考えている。

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