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東京の友人の友人氏へ[歴史四方山話③]

kage

2017/08/23 (Wed)

東京の友人の友人氏へ[歴史四方山話③]
前述より続く、

◆ 義経と佐藤兄弟
 源頼朝が伊豆で兵を挙げた話が、義経のいる平泉まで伝わり、義経は兄・頼朝のもとへ行く決心をします。藤原秀衡はその義経のために米沢に住む佐藤継信(兄)、忠信(弟)の二人を義経の家来としてつけてくれます。義経の家来というと武蔵坊弁慶が非常に有名ですが、弁慶は実在せず物騒の中で創作された架空の人物です。
 それゆえ義経が真に頼りにした忠臣は佐藤兄弟のみといえます。藤原秀衡は佐藤兄弟が誠実、勇敢なところから特に選んで義経につけたものと考えられます。

兄/継信の最後
 佐藤兄弟は、義経と共に各地で勇敢に戦い歴史に残る合戦での名場面を残しています。その戦いのひとつに四国の屋島の合戦があります。義経は少数の兵で平家の陣営を奇襲攻撃します。激戦の中、平家方随一の勇将、平教経は義経を見つけ、強弓から矢を放ちます。矢は一直線に義経に向いもはや義経の命もこれまでと思われたとき、脇にいた兄・継信がとっさに義経の前に立ちふさがり、身代わりとなって矢を受けて討ち死にします。

弟/忠信の最後
 弟である忠信は後に義経が頼朝の軍勢に追われ、吉野の山中で囲まれたとき、「われこそは義経なりと名乗りをあげ、敵の注意を自分に引きつけ、その間に義経を逃しています。忠信は奮戦のあと吉野を逃れ、京都に潜んでいましたが、後に、討手と戦い討ち死にします。

義経の米沢行き
 弟・忠信のおかげで危うく難をのがれた義経は、安宅の関を経て、平泉へ向かう途中、米沢へ立ち寄り、佐藤兄弟の母に会い、兄弟の最後の様子を詳しく伝え、自分のために命を投げ出してくれた行為に対して深く礼を述べました。 老母は気丈に義経にお答えし、佐藤兄弟の子供たちを義経に引き合わせたと言われます。さらに、義経は兄弟の菩提を米沢の常信庵で弔いました。この義経の米沢行きはほとんど知られていませんが根拠のある話であり、また、人々の感動をさそう名場面として、ぜひとも世にだすべきと思われます。

 米沢駅のアスクにも「義経の米沢・忠臣佐藤兄弟との物語」の説明パネルが掲示されているので一見願いたい。

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kage


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