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東京の友人の友人氏へ

kage

2017/08/08 (Tue)

東京の友人の友人氏へ

 「前田慶次の館はなぜにあんな場所にあるのでしょう?」との質問を頂いたので以下に述べる。

 数年前にO氏は、現在慶次の館の有る土地を求めた。そこには建築確認申請に必要な4m道路(接道)の条件を満たすアパートが建っていた。
 O氏はアパートを取り壊して別物件を新築しようとしたところ、「これまでの道路は駐車場にしたので接道は無くなった。よって一切建築を認めない」との当局対応から、当該地は利用することが出来ず荒れ放題の状態が続いた。

 困り果てたO氏から当会に相談があったので、「近隣住民の承諾無しに道路を無くすことは違法である。元の状態に戻すべし」と安部前市長と談判したが応じなかった。
 担当職員に「一切建築を認めないというのは職権乱用罪に当たる。現状の接道でも倉庫は建築可能である」と県の通達を示して慶次の館を建設した経緯がある。

 説明の順序が逆になったが、ちょうどその頃、前田慶次の会(堂森)から、「博多から山笠の山車で作成した前田慶次像を贈呈するとの話がきているが、土地は借りるとしても、運賃その他の経費が約70万円に、収容する建物の建築費を考えると到底無理なので何とかならないか」との相談を受けた。

 そこで小生はO氏に「観光のメッカの土地を、草ボウボウにしておくのでは観光米沢の名が廃る。倉庫の建築は可能なので館を建て、そこに前田慶次の像を飾らせてくれ」と願ったところ、O氏が応じて前田慶次の館を建ててくれたことが、館がここに存在する理由である。

 安部市長から中川市長に代わり、交渉が可能となったことから、「住民の承諾無しに道路を止めたのは違法であるから、接道に必要な部分を元に戻してくれ」と話し合い中である。接道4m認可後の利用については、観光米沢に寄与する計画を練っている。

 来年は直江兼続の400回忌の節目でもあり、兼続の住まいから2~300mのこの場所に、盟友の前田慶次が居ることは、何らの不自然も無い。


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