米沢市の繁華街

2017/07/19 (Wed)
米沢市の繁華街かつて米沢市の繁華街と言えば、平和通り商店街と即座に答えることの出来る時代もあったが、尚山氏の「米沢市の繁華街は何処ですか?」の問には、現在確かに答え辛い。
他所からの大型店舗が広い駐車場を設けて土地代の安い郊外に進出し、既存の商店街が疲弊したのは当市ばかりではないが、まち造りに真摯に向き合った首長の存在の有無が、地方都市間格差を広げたのではないか。
小生が傾倒するのは1990年に金沢市長に就任した「山出保氏」である。氏は「荀(まこと)に日に新たに、日に日に新たに、また日に新たなれ」を座右の銘に、5期20年金沢市政運営に尽力された。
山出氏が市長に就任すると「地方分権推進」が衆参両院で決議され、国は地方に思い切って権限と財源を移譲し、地方の責任が重くなった。これは取りも直さず、首長(議会を含む)の能力が格差を生むシステムで、山出市長が取り組んだ施策は「歴史と文化を磨こう。そしてこれらを世界に発信しよう。この歴史と文化が映える美しいまちを仕上げよう」というものだ。
そして現在の金沢市は、新幹線の開通も伴って大変な活況を呈しているが、山出氏が陣頭指揮した20余年に亘るまちづくりが大きな効果を上げていることは否めない。
その間米沢市の首長は、高橋幸翁・安部三十郎氏であったが、両氏共に山出氏のような長期を見据えるまちづくりの能力は無かった。特に安部市長の場合はひどかった。そこで中川市長に期待したいところだが、その片鱗は未だ感じられない。
となると、能力有る市長を求めるか、市民力を高めるかだが、どちらもハードルが高く、他の住みよいまちへ移住を考える市民が出て来るのも致し方のないことか。
つい先頃、久しぶりに会った友人の「もう社長業は他人に任せたので、他県に移住することを考えている」との弁に愕然としたが、尚山氏の「知り合い3人が高畠に移住」の件も、さもありなんと感じられる昨今である。

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