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一転、政宗PR

kage

2017/06/18 (Sun)

一転、政宗PR

 今年は、伊達政宗生誕450年に当たり、仙台市などは気合いを入れての催しを企画しているが、政宗生誕米沢市の中川市長は「「政宗が名をはせたのは仙台時代・・・米沢市には遺品無く・・・」とイベント開催に熱気不足が報じられたが、6/16の定例会で高橋英夫市議の質問に対し、中川市長は「政宗は米沢にとって重要な精神文化・・・」、「城下町を補完する事業を考えたい」と考えを一転させ、何らかの企画実行に軌道修正したようだ。

 「米沢市には遺品無く・・・」では無く「知恵が無い」と小生は市の無策を揶揄し、観光行政に歯がゆいものを感じて、なじってきた。
 伊達政宗が、「舘山発電所の上に築城を計画した」などの捏造話で、6千万円もの調査費を費やす文化課には呆れかえる。
 
伊達政宗にまつわる観光資源はこれまで縷々述べてきたが、「遠山覚範寺」については余り知られていないので紹介したい。

【覚範寺】
 天正14年(1586)伊達政宗が父輝宗の菩提を弔うため、遠山村に創建したと伝えられる。 
 昭和62年(1986)に愛宕山の北東麓の大地が発掘調査され、その一部に大型の建物、基壇跡、小祠堂跡、墓壙、墓道階段、などの遺構が検出された。
 出土品としては、常滑系甕破片、美濃系鉄釉花瓶、かわらけ、手あぶり等があり、時期も寺院のあった年代と一致する。

 何度も述べているが、城下町米沢を売り込むには、視覚に訴えるものが少ない。しかし最近は単に風光明媚を求めるのではなく、その土地の歴史や文化を知りたいとする観光客が増えている。

 父輝宗の最期に嫡男政宗がどのように関わったかについては諸説あり、史家に取って覚範寺は大変興味のある遺構なので、中川市長が「城下町を補完する事業を考えたい」と述べるなら、舘山発電所付近に伊達政宗が居城を計画したなどの捏造話に市予算を費やすのでは無く、先達が結論づけた「伊達政宗が居城を計画したのは一の坂より」を観光資源に考えて貰いたいものだ。

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