周年記念事業①

2017/06/14 (Wed)
周年記念事業①生誕・創立・に限らず、死没や事件後の区切りの年に「周年記念事業」を行うことが多々あり、仙台市では伊達政宗生誕450年ということで多彩な事業を計画しているが、伊達政宗の幼名「梵天丸」の故郷米沢市では「資料はみんな仙台に行ったので・・・」と、熱気不足の中川市長の弁が報じられた。
来年は戊辰の役から150年、上杉謙信公没後440年の節目の年に当たるが、米沢市の場合の取り組みは如何であろうか?
小生は色部長門を顕彰する米沢御堀端史蹟保存会に属していることから、戊辰の役後150年には大変興味があるし、何か記念事業を企画したいと思っている。
色部長門と言われても「誰?」という市民が殆どでは無いかと思われるが、色部は戊辰の役で、新潟港から攻め込んでくる官軍と戦うべく新潟に赴いたが、現在の新潟市を戦場にすれば町が破壊することを懸念し、市内から外れた関谷で官軍を迎え撃った。しかし、官軍に敗れて関谷で命を落とすことになった。
戊辰の役は幕府軍の敗戦により、官軍に逆らった藩の責任者を処罰することとなったが、米沢藩は「責任者は色部長門」と届けた事により、色部家のお家断絶という軽い処分で米沢藩からの処刑者を出さずに済んだ。
時が過ぎ、有志により米沢藩を救った色部長門を顕彰する石碑が、上杉伯爵邸西の放送局裏に建立され、新潟市でも戦火から町を守った色部長門として、新潟市民により関谷(今は合併して新潟市)に顕彰碑が建立された。
戊辰の役で大きな犠牲を払ったのは現在の会津若松市だが、長州藩(現在の山口県)からの非道な扱いに、「戊辰の役からまだ150年」と心の傷は未だ癒やされず、150周年には今から気合いを入れて記念事業を企画していると聞く。
米沢市で戊辰の役と言えば、もう一人忘れていけないのは「雲井龍雄」だが、彼の名を知る市民も少なくなったのではなかろうか。彼については後述する。
左は新潟県関谷の碑 右は米沢市の碑



コメントフォーム

この記事へのトラックバック

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)