舘山城のこと①

2017/05/12 (Fri)
舘山城のこと①
当掲示板に舘山城に関する投稿があったが、関心は米沢市民に限らず他所から訪れる観光客にも少なからぬものがある。
今回の連休に、東京から来米者のS氏は、米沢市文化課が発行したパンフレット(左参照)を手にし、舘山城の案内を所望された。
小生はS氏を現地に案内したが、そこには「伊達政宗生誕の地」の木標があり、パンフレット表紙の発電所跡を「伊達政宗が作った舘山城」と思い込んだようだ。
公務員とは、社会通念上「堅い人(悪いことをしない人)」との認識があるようだが、それは「お伽話」の世界であり、現実は「捏造・隠蔽・すり替え」を常套手段とする自利に長けた人々の集団である。
問題の発電所跡地であるが、文化課の手塚孝職員は、大正時代に放置されたと思われる瓦礫を「豊臣秀吉に移封を命ぜられたことから、伊達政宗が築いた舘山城を破城した痕跡」と捏造して「舘山城(発電所跡)=伊達政宗築城説」を国へ史跡指定申請を行った。
小生はこの行為に「一の坂の表示板が正しい」と抗議すると「あれは間違いであるから撤去する」と覆い隠してしまった。


しかし次第に「舘山城(発電所跡)=伊達政宗築城説」の化けの皮が剥がれてくると、小生指摘の「伊達政宗は一の坂から築城しようとした」とする表示板説に擦り寄り、「伊達時代に一の坂から舘山城が存在した」と替えて国に申請した結果「国指定の史跡」が誕生したが、文化課は「元々その様に考えていた」と嘯(うそぶ)く始末である。
S氏には「舘山城=伊達政宗築城説」は捏造であることを説明して、山形県指定の「御成山公園(舘山公園)の眺望景観資産」へ案内し、「伊達政宗はここから米沢城下を眺めて築城の構想を練ったとする伝承がある」と説明すると、氏は「手塚孝説より伝承の方に真実味があり、これで納得した」と来米の成果を喜んでいた。
手塚孝職員は「継続して調査研究する」として定年後5年の任用が認められ、現在年300万円程の報酬を手にしている。

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