札の辻のこと

2017/04/09 (Sun)
札の辻のこと札の辻は、江戸時代には、米沢城大手門につながる重要な十字路であり、人が行き交う目立つ場所であったため、幕府や藩の法令を掲げた高札場が設けられ、「札の辻」と称されました。高札場は、切支丹禁令や、藩や親に対する「忠孝」を命ずる数枚の高札が掲示され、幕府や藩の権威を示す偉容を誇った所とされています。 又、ここを基点に板谷宿まで五里十五町と里程(距離)が定められ、「一里塚」も築かれました。
市は「まちおこし」「まちなか回遊観光」の一環としてナセBAと共に、この地に「札の辻跡」を建設した。
ところが、昨年この場所に大門警察官派出所が移転される事を耳にした小生は、「約300万円を投入した設備だが、市の対応は?」と観光課に質すと、「地主と県で決めた話」「市としてはどうしようも無い」と、意に介す様子が無い。
そこで、米沢警察署に電話すると「本署の管轄です」とのことなので、山形に電話して「設備の一部保存」を願うと「考えます」との署員の返答であった。 しかし、心許ないので木村忠三県議にそのことを伝えたところ「何らかの形で協力する」との署長の話だったという。
最近、大門交番署は札の辻跡に移転した。下写真の左側が以前の「札の辻跡」で、右が現在の状態だが、「札の辻跡」は期待したものとは大分小さくがっかりした。
県も気を遣っての事とは思うが、何よりも観光課職員のやる気の無さには腹が立つ。魚民の例を持ち出さずとも、賃貸契約者が借地借家にお金を掛けた場合にはそれなりの権利が発生する訳であるから、観光課が県と交渉し、もう少し観光に寄与する史跡の保存を考えるべきであったろう。
新道の駅の完成で、観光客の増加を謳う観光課だが、このような態度では推して知るべしである。


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