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御三階

kage

2017/02/11 (Sat)

御三階

 今年の雪灯籠祭りに「御三階」が伝国の杜に御目見得した。
 「御三階」は現在の上杉神社が米沢城本丸であった時、城の鬼門(北東)に、1~2階を武器庫、3階を護摩壇(ごまだん=祭礼場)として建造された隅櫓(すみやぐら)である。
 明治の初め頃には取り壊されてしまったが、米沢市図書館には当時の「米澤城本丸図」があり、伊達氏・上杉氏が居城としていたことが文献でも明らかである。現在米沢市は米澤城を「伊達政宗生誕の地」として立派な石碑の表示を行っている。
(ワンクリックで写真拡大)
IMG_0581.jpg 政宗生誕石碑

米沢城本丸図 米沢城鳥瞰

 この史実に対し、米沢市の手塚孝職員は、舘山発電所跡を「伊達政宗」が築城した主郭(本丸)との「与太話」を捏造して国の史跡指定を目論んだが、市教育委員会は「石垣の工法が慶長年間(江戸時代)以後である」として手塚職員説を否定した。
 ところが、面目丸つぶれの手塚職員は、汚名返上を期待したものか、はたまた地権者利益の後押しか「小野川天狗山に伊達氏関連の館跡発見」とか「高畠二井宿の志田館は伊達の出城で、その石垣工法は舘山城と酷似」とか、最近とみに講演会を開き「舘山城保存会」がそれに関与しているが、そもそも舘山発電所跡が「舘山城」であることを裏付ける資料は一切存在しない。

 伊達政宗が「舘山に築城しようとした」とする文献は有るが、舘山とは御成山の北側の地であり、舘山発電所跡地は「長峯」であるから、舘山発電所跡に築城しようとしたなら「長峯城」と記していた筈である。

 以上を踏まえて、伊達政宗が居城とした米澤城の俯瞰図を眺めると、西方に目に付くのは御成山から羽山・愛宕山の山並みで、舘山発電所跡はその後方の低地であることから、天下を狙う器量の政宗ともあろう御方が、犬小屋程度のお城を御成山から丸見えの陰に築く事など考えられないし、政宗ファンにとっては心外である。
 やはり、伊達政宗が築城しようとしたのは「一ノ坂から御成山」とする説が妥当であり、本市観光にとっても誘客の素材としては利用価値大であることから、米沢市は手塚孝職員の「与太話」宣伝に負けない広報活動を行うべしと進言したい。
 

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