でもしか市議

2016/11/29 (Tue)
でもしか市議教師が不足しており、志願すれば誰でも先生になれるといわれた、今から40~50年前、「でもしか先生」という言葉が流行した。
意味は、他にやりたい仕事がないから「先生にでもなろうか」、あるいは特別な技能がないから「先生にしかなれない」など、無気力で能力の低い人を揶揄していう言葉であった。 そして現在、「仕事にもつけなくて、なにも出来ない奴が、、市議会議員や市長に立候補したり、国会議員になったり、呆れてしまう。」と「でもしか議員」の事を、他のwebでも取り上げられている。http://blogs.yahoo.co.jp/kons_sss/60674657.html
確かに、米沢市の議員も「でもしか先生」の名に恥じない立派な先生方で、その先生が「米沢市の議員報酬と定数」を検討し、その案を3月議会に上程するとのことだ。
今般の議会報告会で、その検討中の案として①「現在の議会費は、年3.3億円だ。その額を超えないで、報酬と政活費の割合を変える。」②「現在24名の議員を減らせば市民の声が行政に反映しなくなるので現状維持」との考えが披露された。
この案には出席者から「働きの割に報酬は高すぎる」「減り行く米沢市の人口を考えれば、大幅に議員数を減らすべき」との「反対意見」が多く出されたが、議員自らが自分の報酬と定数を決めるのであるから、市民が幾ら反対したとしても、自分に有利な議決となるのは目に見えている。
そこで、市民の儚い抵抗として「議員報酬と定数の大幅な削減」を請願の手段で議会に諮りたいが、議員1名以上の署名というハードルがある。そこで「米沢市民への奉仕の心」で署名に応じる議員はいないものかと、個別に折衝中だが、「決して署名をしてはいけない」とのお触れを、一新会のSとE議員が発しているとのことで、可能性は低い。
小生は「でもしか先生」だから「こんな市議はいらない」と「議員報酬と定数の大幅な削減」を主張するのであるが、議員団はそれに「委員会が成り立たない」とトンチンカンな反論をする。委員会が無ければ議会が運営出来ない訳ではない。個人が勉強して議決に応じれば良いだけのことだ。
不必要な委員会の証左として、「ナセBAの追加工事費は市民の負担とする」と結論を出した常任建設委員会の堤郁雄委員長に「何故市民が負担しなければならないのか?」と質問すれば、「市当局に聞け」としか答えられない実例がある。この例だけでは無く、米沢市議団の「でもしか先生」ぶりは列挙するに事欠かない。

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