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舘山城の怪①

kage

2016/11/08 (Tue)

舘山城の怪①

 今年3月に舘山城が国指定史跡になった事が報じられたが、伊達の居残り氏の投稿では「捏造」とまで指摘されている。
 当会も、ここに至るまで市・県の文化課とやりあって来た結果、あまりにも多くの疑義が発覚しているが、今回は歴史学・考古学的な難しい見解ではなく、一般的市民の素朴な疑問として舘山城を考えてみたい。

【疑問その1】 
 市文化課は舘山発電所跡地の山城を「舘山城」と称して発掘調査を行い、その報告書には『舘山城跡「主郭」』と表示されていた。

IMG_9895.jpg
 「主郭」の意味は、Wikipediaによると「中世の山城では、本丸に当たる主郭に大将が居する陣屋を置き、戦時や城に立て篭もるときは麓の館から主郭の陣屋に入って指揮を執った。」と記されている。

 市の報告書では「文献により伊達政宗が普請を行った」と解説していることから、「舘山発電所跡地の山城「舘山城」に伊達政宗が係わったとする資料の公開」を情報公開で求めたところ「不存在」であった。
 よって、城山発電所跡地の山城が「伊達政宗により築かれた」とか「伊達政宗の主郭」などを証明出来る資料は無く、写真の「伊達政宗生誕の地」などは全く根拠の無い話である。にも拘わらず「伊達政宗の主郭」と流布するのは何故であろうか。
 
【疑問その2】
 米沢での伊達政宗は、当時東北一の勢力を誇り、相当数の兵力があった訳で、もし彼を攻めてくる敵が居るとすれば、大戦(おおいくさ)となる事は必至である。
舘山城2
 その事を想定して山城を築こうとする政宗なら、狭矮にして低地にある城山発電所の地を主郭にするとは到底考えられず、先ず考えるのは羽山か御成山であろう。(現に地元住民には御成山付近との伝承がある)
 左の写真でお分かりのように、城山発電所が舘山城なら、付近の山から丸見えで、政宗陣営の動きが一目瞭然ということになる。常識的に考えて、伊達政宗ともあろう御方がこんな不利な地に築城しようとは思われないが。 

この記事へのコメント

kage

資料がないとか?

Posted at 07:45:03 2016/11/08 by カス

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kage


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