抜刀道

2016/11/06 (Sun)
抜刀道過日、「武士道精神を現代に活かす」と題する阿部吉宏氏の講演を拝聴し、実技を目の当たりにした。
氏は物心ついた頃より剣士に憧れて木刀を握り、14才の頃「抜刀道」を知り鍛錬を重ね、全国大会で優勝した。現在は山形に「抜刀道 阿部派一刀流道場」を開設している。

抜刀道の概要は、日本刀で物体を斬る武道で、「真剣を振るという文字通りの真剣勝負の稽古によって培なわれる真の人間形成を目指し、日々自己の精神と肉体の錬磨する」が目的であるという。
日常生活では抜き身の真剣を構える姿を目にすることはまず無いので、抜刀の所作に入った瞬間から場には緊張感が漂った。
そして、水で濡らした半畳の畳表を一刀のもとに切断する実技が行われたが、これは人間一人の胴体を切断するに値するという。
講演では、武士の魂と云われる刀だが、刀とは本来は鞘に収め、無闇に人を殺傷する道具では無く、抜刀するのは敵から身を守るべく戦う時である。武士道の「武」は戈を止めると書き、「戈」即ち武器を止め、争いを止める事であり、この精神が世界に広まれば争いは無くなる。と説き、武士道精神は「孫子の兵法」に非ず、「闘戦経」の教えにあると言う。
武田信玄は、「孫子の兵法」に心酔し、「侵略すること火の如し」と領地を拡大したが、「闘戦経」は、武士は「戈を止める」ものとして侵略を是とはしていない点が大きな違いである。上杉謙信公が「闘戦経」を学んだものか定かではないが、侵略の戦は行わなかったと伝えられている。
小生は小さい頃から「刀」に興味を持っていたが、歳と供に「武士道」に関心を抱くようになった。近頃は、海外でも「武士道」や「侍」に関心が強まっていると聞くので、日本人も明治維新以前の「武士道」を学び、もう一度「日本人の魂」を考える時と思っている。

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