羽黒神社と観光行政

2016/09/20 (Tue)
羽黒神社と観光行政米沢市関根にある羽黒神社は大同元年(806年)、羽黒堂「羽黒大権現」として大窪沢の山頂に創建され、それから約430年後の暦仁元年(1238年)現在の場所に移されました。
元亀元年(1570年)伊達、芦名氏の「横檀原の合戦」で本殿を消失しましたが、慶長3年(1598年)直江兼続が再建したといわれています。近年社殿に老朽化による重大な痛みが確認され、平成20年(2008年)から行われた平成の大改修により現在はその美しい姿を取り戻しています。
又、寛政8年(1796)上杉鷹山公が恩師・細井平洲の三度目の来訪に際し、自らこの羽黒神社に迎え出て普門院まで案内し、その労を労ったという敬師の美談が伝えられ、上杉治憲敬師郊迎跡として国指定文化財(史跡)となっており、その重厚さと華麗さを兼ね備えた屋根の造りの複雑さは一見に値します。
山上地区では「敬師の里」として、上杉鷹山公が恩師・細井平洲を迎えた歴史的場所として顕彰し、9/17に「今宵、幽玄の世界へ」と題したライトアップコンサートが開催されたので行ってみた。
あいにくの小雨で観客は少なかったが、主催者からは「これまでは市の補助を受けての開催であったが、今年は補助を受けない地元有志による開催である」との挨拶があった。それに続き中川市長も挨拶を行ったが、市長はどんな思いでいるものか。
自治体の援助を受けずに祭りを行うには、金銭的にも労力的にも大変な苦労が付きまとい、地元住民の結束無くしては出来ないものだ。他地域の大きなスケールの催しを観に行くと、「官民一体」でやらないと祭りは矮小化し何れ中止になるのではないかとの思いに駆られる。
米沢市は「観光は産業」との認識を持っていながら、予算の使い方に無駄が多い。一例を挙げれば「天満神社で行う行事には補助金を出します」などは、本市としての費用対効果を考えると、むしろ羽黒神社への予算付けの方が観光行政には良いと思うが如何なものか。




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この記事へのコメント

鬼の会の言うことは、意味不明。自己満足じゃない?
Posted at 20:12:46 2016/09/20 by サン十郎
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