色部長門のこと

2016/08/30 (Tue)
色部長門のこと色部長門と聞いて、どれ程の市民が知っているだろうか。若い方なら殆ど御存じ無いであろう。
◆色部長門
色部長門は、戊辰戦争にて新潟に侵攻する官軍と応戦し、新潟市関屋にて壮絶な最期を遂げた。
勝利した官軍は、逆らった藩に対して責任者の首を差し出すよう命じたが、米沢藩では「官軍に逆らった首謀者は家老の色部長門である」と報告し、色部家「御家断絶」をもって、藩は官軍からの咎を逃れる事が出来た。
現在放送中のNHK大河ドラマ「真田丸」でも演じられているように、家柄が命よりも大事な時代の「御家断絶」である。色部家にとっては耐えがたき敗戦処理であったろうが、米沢藩にとっては他藩に比べて軽減な処分であった事から、恩義を感じる有志によって、放送局裏に「色部長門追念碑」が建立され、その功績が顕彰されている。
又、色部長門は新潟に侵攻する官軍と応戦する際に、新潟市内が戦火に包まれる事を避けるべく、新潟市関屋まで官軍を引きつけて戦い、新潟市内が難を逃れた事を感謝する新潟市民によって、関谷の地に「色部長門君追念碑」が建立された。
このような経過から、新潟市は中央区関屋で『「色部長門君追念碑」碑前祭』を毎年執り行っている。碑前際
米沢市は米沢観光物産協会が主体となり、一年おきにバスを仕立てて関谷の碑前際に参列し、今年がその当たり年になっていたが、音沙汰が無いので市の観光課に問い合わせた所「金が無いので取りやめた」との事である。
碑前際には新潟市は勿論の事、新潟進攻先鋒だった高鍋藩(上杉鷹山公は高鍋藩主秋月種美の次男)の現在高鍋町や色部家末裔の方の参列もあり、それなりに地域間交流に寄与していただろうに「金が無いから・・・」との理由で、これまでの催事を断るとは如何なものか。「金が無い」と云うが、ABESANによってバス一台のチャーター料6~7万円も払えない米沢市に落ちぶれてしまったというのであろうか?
碑前際は神事なるが故に、市が主催出来ないので観光協会が表に立った催しであろうが、観光協会は市が相当額の公金を出している第三セクターなので、根は同じ米沢市観光課の考えと察し、「金が無いから参列出来ない」とする行為は、本市以外の方々から「米沢市民の先人に対する敬愛の念」をどのように受け止められるか心配である。

コメントフォーム

この記事へのトラックバック

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)