「札の辻跡について」

2016/07/27 (Wed)
札の辻跡について①米沢新聞7/8の「読者の声」欄に表記題名の投稿が下記の様に掲載された。
「札の辻跡について」
通称、米沢-板谷街道筋大町「小関洋服店」向かい十字路の花壇の所は、藩政時代「札の辻」と呼ばれ、「米沢城大手門」につながる十字路であり、米沢藩領内街道の起点となった重要な史跡であります。
この場所に来年4月「米沢警察署大門交番」が米織会館側より移転されるそうです。
現在、「札の辻」跡には立札の説明書と、看板に旧藩時代の見取り絵図ポスターが張られております。
「札の辻」跡は、ここを基点に板谷宿まで五里十五町と里程(距離)が定められ、「一里塚」も築かれました。
また、人が行き交う目立つ場所であったため、幕府や藩の法令を掲げた、高札場が設けられ、「札の辻」と称されました。
高札場は、切支丹禁令や、藩や親に対する「忠孝」を命ずる数枚の高札が掲示され、幕府や藩の権威を示す偉容を誇った所とされています。
この場所に警察官派出所が移転されるに伴い、米沢の重要な史蹟であるこの地を県警はどのように認識されるのか心配です。
どうか、米沢市民として、県警の高配なる配慮をお願い致します。
米沢市門東町二丁目 玄番二男


大門交番の移転を知らなかったので、ホームページで調べると確かに大門交番の建替えが28年度に計画されている。
そこで山形県警に電話で問い合わせてみると、
①現在の建物は40年以上経過し、老朽化が目立つ、
②現在より大きな建物を計画しているので広い土地が必要、
③現在地に近い場所を物色している。
との回答で、「札の辻」跡地への建設は、現在地主と交渉中とのことだ。
【続く】

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