滅びの美学

2011/11/26 (Sat)
老生思うに、この米沢には上杉の亡霊が住み着いているとしか思えない。遡れば関ヶ原の戦いでは豊臣方に加勢したが負けた事から会津からこの米沢に移封、時の権力者徳川に冷遇され、その後忠誠を試みるも戊辰戦争では幕府軍に味方し又も敗れた。
加えて米沢藩士雲井龍雄が新政府に浪人の扱いに対して進言を行うと首を刎ねられてしまうという「滅びの歴史」のDNAが現在の米沢市民の思考回路を支配しているのではないか。
時の権力者に逆らう事により冷や飯を食い続けてきた米沢市民は変化・変革に臆病となり大勢に甘んじる自虐的『滅びの美学』を身につけてしまったものと思える。
最近では大久保・安部の市長選で高橋幸翁の利権政治に嫌気をさした米沢市民が夢を抱いて変化・変革を求めたが結果は市民の知るところである。
それに輪をかけたのが民主党政権だ。バラ色のマニュヘストを掲げ国民の期待を一身に集め与党の座を得たが期待は見事に裏切られた。
明日は米沢市長選挙であるが山形新聞は安部現職候補有利との報道を行った。
私の知る限り次期も安部市長が良いとの意見は極少数である。にも拘わらず安部候補に一票を投ずる心理は「誰が市長になっても変わらない」「ならば現在維持で良いのでは」との大勢に甘んじる自虐的『滅びの美学』の論理が感じられる。
現職続投を真に望む市民とは、続投によって利権を行使できる一部の市民であろうがその御仁が経済界のボスで有った場合、彼を取り巻く有権者は真に米沢市が良くなってもらいたいと言う思いよりも「自分に利益が有るか無いか」の判断が投票を決するのではないか。
11/18南陽・たにぐち氏も同じような考えを投稿されているので参考にされたい。
今米沢市が良い方に向かっているとは思えない。むしろこのままでは第二の夕張市の危機感を持つ市民も多数いるのではないか。
酒井彰米沢商工会議所会頭は新任の挨拶で「地球が氷河期のときじっと春を待った民族は滅び、外に出てマンモスと戦い行動を起こした民族が生き延びた」と述べている。
さらに加えて「一歩踏み出す勇気が必要」と。
正に今が一歩踏み出す勇気が必要な時と思うが明日の審判を待ちたい。

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