期待削がれた公開討論会

2011/11/20 (Sun)
17日米沢青年会議所主催による市長候補予定者公開討論会を傍聴した。市長候補として名を連ねるならば、市政に対する哲学的なビジョンがあらねばなるまい。
なかでも、はじめて市長選に名をあげた女性候補予定者、関谷女史の勇気と決断とに新鮮な期待をこめて一聴衆者として開会2時間前に会場に着いたが、なぜか会場周辺に人影がなく開催会場を間違えたかの錯覚にとらわれ、案に相違して低調極まる討論会で、伝国の杜定員500名の座席はガランとした100名に届かない聴衆者であった。
開催にあたった青年会議所の諸君のご苦労は認めるものの進行についてはあまりにも稚拙すぎる討論会であり、これには厳しく反省すべきものであろう。
討論会の成立とは各自候補が米沢市のビジョンを切瑳拓磨する論戦であるべきで司会者自身が言論を封鎖すべきものでなく自由闊達に米沢市の今後を聞くべきであったろう。
現代風に青年たちが考えることといえば「喧騒の何事もなく平和な討論会を望む」であろうが、それならば「市政に対する思いを述べる会」と銘打つがスジというものであったろう。
討論会という名称で開催するならば、候補予定者が互いの思いをぶつけ合い口角泡を飛ばして米沢の未来を語り合うことを期待して参集したものと思われる。違うだろうか?
この状態は残念ながら米沢市滅亡論を数字で示した山形大学教授の調査論文が的確に示していることにほかならないのだ。
唯一の女性関谷女史の「市長選を無競争にしたくない」との観点から腰をあげた勇気には絶賛するものの、立候補すればそれで済むことではない。
少なくとも市長とは市の将来を牽引するビジョンが確立していなければなない。 「米沢中心街に広く緑なす市民の憩う公園がほしい」などのビジョンでは米沢市政を熟知した発言とは思えない。
安部候補予定者は鈴木候補予定者の問いに対して一言も発言が出来なかったが、幸いなことに司会者が鈴木候補予定者の質問を封鎖したから安部候補予定者が救われた形だったが、市民の最大の問題事であったことから明確に安部現職は市民に真相を解説すべきであった。が、安部候補予定者は口を閉じて答えようとしなかった。
したがって疑惑は市民の中に募るばかりとなって残ることになったままだ。
安部候補予定者は「米沢市を花と美しい樹木で飾りたい」と抱負を述べ「米沢市は東北で住みたい街の上位に位置すること」を強調、ならばなぜ人口が激減し企業が半数までに減ったのかの疑問に答えようとはしないのだ。
市長に立候補するかぎりにおいては、候補者は米沢市の未来について熱く語る必要があるはずだ。
地検に刑事告訴されている事実について現職市長として市民に向けて告訴に対する心根を吐露すべきことであった。
市民は疑惑に対する現職市長の態度からあくまでも疑惑として市民の胸の中にモヤモヤとして残るだけになった。
老生宅に電話が入ってきた。娘夫婦からである。
息子が風邪のために会場に出掛けられずNCVのテレビ中継で討論会の模様を見ていたが、聴衆も少なく候補者予定者それぞれに覇気がなく「これ以上は見るに価値なし」という亭主の言葉でテレビを消したということだった。
市民に討論会の価値はないと断罪された青年会議所と出席候補予定者の市長としての見識の欠如には呆れ返るばかりだったという。
老生は娘の感想を聞いて米沢市の末路を感じて正直ゾットした。
市民が低調なだけではない。市街地活性化とは他人からどうされることではない。その街に住んでいる人たちが活性化させようと努力してないから疲弊していくだけのことで全国のどこの街にもいえることだ。
安部候補予定者は「米沢市は歴史と教育の町だ」と繰り返し強調し更に「歴史公園」の造成によって観光客を集め中心商店街に寄与するのだというが、肝心の地元民が努力しない街に素人の行政が手を出してどうするというのだ。
なるほど米沢市には多少の歴史はあるだろうが、安部市長は大河ドラマの「天地人」の作品の内容のデタラメさに毒されてているような思いがしてならない。
同様にポポロ1階の展示場に陳列されているダンボール製の甲冑や合戦のセットなど、恥ずかしくないのだろうか。
おまけに疑惑の購入土地に歴史公園を新設するという。サッカー場と合わせてその借金総額を一所帯十数万円の負担になるのだという。
「サッカー場は市民から要望があったものだ」と平然として答える賢くない市長だ。
市街地近辺の土地は市が疑惑を承知で購入したものだ。これに関して鈴木候補者予定者が安部候補予定者に対して質問したが、発言は司会者に封鎖されて問題の疑惑解明はされずにすんだものの討論会の狙いは安部を守りぬくとした疑惑に通じるものだった。
せっかくの公開討論の意味は司会者の質問差し止めによって市民の疑惑をよりいっそう一層確実なものになってしまった。
以上、公開討論会の出席者として。正直なところ市民の目で見るかぎり、鈴木候補予定者一人が確信を突いた意見を述べていたにすぎない。
人によって見方は種々あるだろうが、安部・関谷女史候補予定者は市長としての見識に乏しく、いまでも米沢市の将来があやぶまれているものの、有権者各自が選択するのであるから多くを述べるべきではないだろうが、二度と米沢市の発展を阻害するような選択はしないでほしいものだ。
老生は討論会に出席した者として事実をありのままに書いた。

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