「今だから話そう」米沢市没落の市政の要因。

2011/01/18 (Tue)
世間からいつも「利にもならない行政批判を繰り返して」と言われている小生だが、黙っていることが米沢市にとって益になることなら、批判はすぐにでも止めたいと思うのだが、あまりにも日本国の政治に携わる人間たちのだらしなさには目をつぶるわけにはいかないのが生来の性分なのだ。まして小生が暮らしている米沢市の現況には腹が立つ。
公務員というものの生活を支えているのは毎月の給料だ。が、給料の出所を錯覚しているのではあるまいか。
米沢市の場合、市民が納めた税金のほとんどが職員の給料に消えてしまう。
公務員というものは至極安泰な職域で生活しているものだと思うのは小生だけではあるまい。
上司の顔色を伺いながら、勤務先を休まないかぎり一定の保証が得られるシステムである。
さらに仕事の成果に関係なくボーナスが支給されるという神話が罷り通っている次第だ。 このシステムから、行政マンと市民との格差が生じてくる。
したがって行政マンの目線は自然と市民を見下げる態度が如実となって現われてくる。「たかが一市民のくせに、行政に逆らうとは何事ぞ」
上杉城史苑隣地を購入、米沢の経済に寄与しようとした人物が、あにはからんや購入した100坪の土地に市は建築許可を下ろさないで3年間も抗争を続けていたのだ。
本会に購入者が悲鳴を挙げていると訴えがあり年末も迫った21日に「オレがトップだ」という副市長に合うことになった。
朝になって、普通建築許可を出すからという話になったことの不思議さ。これには行政の嫌らしい条件がついていた。
建築確認許可は「一般住宅という意味で店舗の確認許可」ではなかった。購入者本人は土地購入時から店舗を目的として市に申し込んでいたから無論、一般住宅建築許可については拒絶した。
本会は「解決するのは時間の問題だ」と、安堵しながら副市長との会談になったわけだが、3年掛かって出来なかった建築確認が接道2メートル副員を見つけたからの許可でこれは行政の手柄だと力説し、購入者が必要とする4メートル副員は一市民に対する市政の便宜供与になるから、それは出来ないの一点張りなのだ。
問題の土地は土地境杭もなくまた誰が工事したか不明のまま、城史苑の駐車場とされている不思議さ、その駐車場には3台の車が駐車していて、購入者の出入りを阻止している風体が見られる。
この駐車場を接道とみれば簡単に店舗の建築許可が出せるのだが行政はこの一点に頑なに固執しているのだ。これが現在の市政である。
吉池市長の後を継いだ「長市政」は着任早々に自治省の管理化に入り8年、高橋市政は南部区画整理事業に大失敗。退任後の安部市長は佐藤病院の誘致を断るなど、市政の発展に大いなるミソをつけた。
以来、企業誘致などする気もなく役所には企業誘致のラベルだけが下がったままだ。
安部の企業誘致とは、地元の企業の移転を誘致だとするバカさ加減だ。
どんなに役に立たない市長でも、選挙制度が生きている国家である以上、選んだ市民たちの責任である。
日本人の欠点は大衆に迎合し易い体質をもった民族であるらしい。といって理不尽な行政であっても理不尽な行政に怒ることを忘れてはならないのだ。
米沢の地が暗く淋しいのは、一に生きた行政が行われない事にある。
米沢市民歌も途絶え、士気を高揚させる市民のブラスバンドの音色さえも消えた。
吉池市長が思い描いた米沢市の活性は、長・高橋・安部という知恵のない市政がかけがいのない故郷を埋没させた原因であったことを市民は知るべきである。
行政用語には「前向きに」「鋭意」「十分」「努める」「配慮する」「検討する」「見守る」「お聞きする」「慎重に」などと国会答弁や行政用語が用意されているものの、極論すれば「何もしないこと」に通じる言葉だと、厚生省検疫課長宮本氏は著書で言っているのだ。ご披露する次第だ。

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