タイガーマスクの善意に比べ、町田副市長の怨念の哀れさ

2011/01/16 (Sun)
思えば小生らが20歳代後半の頃「もてない会」という若い人たちの集まりがあった。12月24日のクリスマス・イヴは500名規模の会員が集うダンスバテイを開いて収益のすべてを「聾唖学校」や「松原分校」の生徒さんたちが希望する用具を贈呈していたことを思い出した。
ランドセルではなかったが「聾唖学校」には野球道具「松原分校」にはゲーム器など、小さなプレゼントで、パーティ参加費からの剰余金であった。
田村電気提供によるスチールバンドの演奏に参加者はブラボ-を送り踊り明かしたものである。
当時の米沢市長は吉池氏で、会場に「ネギを背負った鴨2羽」を引き連れて会場を沸かせたことを思い出し、些少ながらもタイガーマスクや足長オジサンの真似ごとをしていたものだと思ってもいる。
その頃は「米沢市に芸術鑑賞協会」や「音楽鑑賞協会」があって中央からソリストや演奏団体・新劇団体などを招聘して、米沢市は貧しくとも文化的事業華やかなりしときを過ごしてきた。
その時代に小生は芸術観賞協会の事務局で編集長や事業の裏方をやっており「もてない会」では会長を専任させられ、夏には裏磐梯・松川浦・桂島などのキャンプ・尾瀬ケ原ルートを開発、米沢市民では最初の尾瀬ケ原入りも思い出である。
さて、全国各地でタイガーマスクの善意が満ちあふれている今日、米沢市の町田副市長が考える市政を比べると、その哀れさがヒシヒシと感じられる。
或る市会議員はかくの如く述べているのだ。
町田副市長の根底には、上杉城史苑駐車場隣接地に”市政への抗議看板を建てた”ことで「市民ごときが行政に逆らい、楯突くとは何事ぞ」「市長には解決する知恵もなく行動することも出来まい。副市長たる自分の裁量によって報復してやるのだ」とする怨念が今でも深く残っているのだという。
行政に楯突く小生に対して巷の考え方は「市政に逆らって何んの得することがある」と、行動に批判的な考え方が多くあるが、「そんなら安部を市長に選んだお前たちの責任はどうするのだ?」と問い返す日々だ。
考えても見るがいい。「上杉城史苑」隣地を購入して米沢市の観光対策に寄与しようとした者に、100坪の土地に建築許可も出せないと頑張る行政のどこが市民に対する公平な処置だといえるのだ。
一市民のために行政は便宜供与できないと談じる町田副市長行政の何処に市経済の活性化が期待できるというのだ。
便宜共与が問題となるのであれば、第3セクターにおける減資はどういうことだ。積もり積もった累積赤字解消のために市はどれだけ損したことか?市民からの税金投入でないか。
産物販売の実施はやらねばならぬが、他産地の流れ商材を販売する3セクでは米沢の特色にならない。
昨年12月21日会談における「市民有ってこその米沢市政と考える」との町田副市長の音声がしっかりボイスレコーダーに残っている。
発言通りの「市民軽視無き為政者」を望むものだ。

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