市民をないがしろにする 「上杉城史苑」隣接地問題 其の1

2010/12/29 (Wed)
上杉城史苑隣接地問題を伝える事により「米沢市行政の考え方」を広く市民に知って貰いたいと願い、改めて事の起こりから説明したい。平成19年10月、O氏は上杉城史苑北側隣接地をT氏より買い求めた。
この時の仲介不動産屋の取引主任者は安部三十郎市長の最大支援団体「みんなの会」会長である「斎藤喜一」氏である。
土地取引とはとかく問題が起きやすいため「重要事項を説明した書面」を交付して説明しなければならないと定められている(宅地建物取引業法)がそこには「接道3m」と明記され且つデメリット記載は無い。
しかし後日「接道」は1mしかなく建築基準法で定める「接道2m以上」を満たさないため家を建てられない「死に土地」である事を知ったO氏は斎藤喜一氏に詰め寄ったが「家を建てられない事は説明していた」「裁判でもどうぞ」と開き直っているという。(小生は友人を通じ斎藤喜一氏に面談を申し込んだが拒絶された)
O氏が斎藤喜一氏に騙された事は市行政とは直接関係ないと考え、後日の司法判断に委ねるが、当会がこの問題に着手した訳とは、T氏とO氏の売買に次の書類が添付されていたからである。
寄付証書
このたび私所有の末尾に記載した不動産を「道路敷地」として貴市に寄付致しました。(以下省略)
昭和47年8月10日 米沢市○○○ ○○ ○○ 印
米沢市長 吉池慶太郎 殿
即ち土地の前所有者は私有地を市に寄付する事により接道の確保(約20m)を願ったものである。
しかしながら市は寄付を受けた土地を道路とはせず駐車場として造成したため道路の無い「袋地」「死に土地」となってしまったのである。
O氏は市の都合により道路が分断された結果、建築確認の取れない死に土地となった事への救済を市に願い出たが市には聞き入れられず、この間3人の市会議員も交渉に当たったが3年経過した今でも問題は解決されていない。
今年11月この問題が当会に持ち込まれスタッフと協議した結果、これは市民を苦しめる「市行政の暴挙」であるとの判断から市との交渉役を引き受けた次第である。
今月の21日に副市長、関係部課長と面談出来たので、次回からその内容を詳しく報告する事としたい。 続く

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