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「ブラボー米沢混成合唱団の夕べ」

kage

2009/08/10 (Mon)

  「夏がくれば思い出す」昭和24年代に全国を風靡したNHKのラジオ歌謡の-曲である。「さくら貝の歌」「山の煙」「あざみの歌」などと朝まだき何処の家のラジオからも流れていた不朽の名曲である。
この曲に歩くリズムを合わせながら高足駄で会社に急いだ苦学生だった頃を思い出す。

 当時は、檜枝峡沼山ルートがなく、日光金精峠を経由して大清水から富士見峠をめざすか三平峠から沼に出るしか尾瀬ルートはなかった。鳩待峠から至仏山に登り「ワタスゲの原」に下り、尾瀬原を縦断して沼に出るのが健脚向けのルートといわれてきた。
老生は夏の思い出の詩歌に憧れ「尾瀬を歩きたい」との思いに惹かれ、バスを仕立てて40名の仲間と尾瀬に向かったのが最初だった頃が青年時代だったことに懐かしむ。
「岩の至仏よ 燧の森よ 朝露深き カッコーの声。 キスゲの木道 原におつれば池塘にゆれる夏の水草」など尾瀬の感動を拙作の詩に曲をつけ「尾瀬の山唄」として沼の長蔵小屋に送った。
今になっても愛唱されていることを知って、たちきれない青春の思い出として「夏の思い出」は老生の終生の愛唱歌として忘れることはない。

 さて、コンサートに接したお礼をかねて老生なりの感想を二三申し述べてみたい。
まず、男性団員が増えたことによって曲想に厚みが出てきたことにブラボ-と申したい正直申せば団員の拡充が本合唱団の今後を期待できるということであろうからだ。
なつかしい国民唱歌のメドレーは楽しく、幼き日に回帰できる嬉しさもさることながら良し悪しは別としても現今流れてくる「巻き舌で歌詞も不明」ボリュウムいつぱいにガナリ出す現代歌謡に霹靂する老生に限らず混成合唱団の歌声は救世主の思いであった。
音楽は聴衆の琴線に響くことが主たる目的であるはずだ。その点では場内を埋めた聴衆のだれもが満喫したステージであったろうと思った。
劇場のスタッフが、曲の変わり目ごとに、Eマシンを駆使して曲想を高めようとしているのだが、折角のEマシンの効果もホリゾントをさえぎる音響板だけに半減したことは惜しいことだった。
「くの字」形でステージにあがる団員の姿はいたいたしいが若い団員の少ない地方合唱団の「火を消すまいとする」高年令の団員たちのひたむきな合唱好きが支えていることに感動し「地方文化の根っこ」になっていることに賛同を禁じえないのだ。
おそらく団員のみんなは骨になるまでも歌うことを忘れない人たちなのであろうと敬服する以外に言葉を失うのだ。

 老生が舞台専門であるからことから気になったことがある。ステージの上の二重版のことだが全顔が白く隠されているのだが両端の二重空間がいやに目につく。細いことだが気をつけられた方がベターだと思う。
進行者の役目は主役たる合唱団員の前に踊り出てはならない。本職はアナとなっているが進行役の域を越えた司会術はけして誉められたことではない。

 最後になるが、星野富弘氏の詩は合唱曲にするには無理があるように思えた。まして団員によるナマリまじりの朗読は愛敬はあるとしても無用と心得るべきであろう。
詩の朗読に不可欠な声質とは「ふっくら」と「詩の流れ」を熟知したナレーターの仕事であるからだ。
今回のコンサートには多少の冒険を承知の上で取り入れたとしても常道から外れた試みは避けるべきだった。


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kage


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