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後期高齢者として、未だに残っている戦後の疑惑。

kage

2009/08/03 (Mon)

  老生が小学2年生の12月に始まった大東亜戦争は、6年生の夏に敗戦となった。当時、縁故疎開ということで蚕桑村の兄嫁の実家にお世話になっていたが、なによりも恵まれたのは毎食が白米でいくらでも食べられることだった。
 あてがわれた部屋は板敷のだだっ広いだけの部屋で、1ヶ月もすると分かったが部屋は蚕を飼育するための場所だった。
やがて蚕皿の量が増えてくるにしたがって部屋中が蚕棚になって、その下で寝ることになってきた。
朝4時に起きて米坂線添いを荒砥方面に向かって歩き、桑畑に出て蚕を飼育する桑の葉摘みが仕事だった。
蚕が成長するにしたがって桑の葉を摘む量が増えてくる。蚕は夜中も休まずに食べる。カサカサと桑の葉をはむ音には眠られずホトホト参ったことをなつかしく思い出す。
生活用水は台所に取り込んである村の小川の水で、仕切られた小川にはハヤや真鮒が飼ってあり食事の残りが彼らの餌となった。やがて真鮒は「むくり鮒」となりハヤは甘露煮となって正月には欠かせないタンパク源となって地産地消する農家の知恵となって役立のである。
他に最上川添いに村共有の沼があり、年に一度は沼の水を干しあげ、村中総出の大量唄い込みとなる。よくも川魚は捕れたものである。
沼での川魚捕りを最後に、戦争が終わったために母の待つ米沢の家に帰ったが、食物には雲泥の差がある現実に直面した。それでも末っ子の私は蚕と同居するより母と姉のいる家がうれしかった。

 戦後の食料事情は国中最悪であったから一緒になって耐えるしかなかったが、戦中戦後を通して実施された官憲の手になる「闇米」の摘発は無常の極致だったが、摘発した米は何処に消えたのであろうか?
素朴な疑問として今なお脳裏に深く残っているのだがいまさらにとはいわず政府はこの疑問に答えるべきであろう。
あの摘発行為は、凶作のために疲弊する農民をしめあげる悪代官のごとくに「犯罪」だと脅かしつづけ摘発を命令した政府用人に答えてもらいたい。
政府の答えはおそらく「GHQの指示だ」と答えるであろうが、摘発した大量の米は飢餓に苦しむ国民に等しく生き抜くための糊として消えたのであるか。
立候補者一人々々に問いかけてみたいものだ。ドサクサに紛れて摘発米は闇の世界で処理されたのであろうが、強者とは常に権威風の中にあって、弱者からの搾取法を考えているものであろうから、決して権力を行使される側に座ることなく権利を行使する立場を死守するものである。
候補者等しく日本国の未来を考えているわけでなく、考えている風を装っているだけと映って仕方がないのは老生だけであろうか。

「賢人のもっとも美しいありかたは、きわめて控えめな言葉を使って、きわめて強烈なことを言うにある」


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