花火大会は人生の青春譜だった。

2009/07/08 (Wed)
夏の夜空を彩る東北花火大会の夜は故郷米沢市のかけがいのない風物詩であった。後期高齢者となった今、思い出すのは夜空に炸裂する轟音の響きと、華麗な火薬の舞とであった。その花火大会がピンチの憂き目にあることを報道で知った。
花火大会を開催するには水のある広範な開催場所を用意しなければならず、まして事故は未然に防がねばならい。見物者は轟音とともに口を開いたまま夜空を見上げるだけでいい。したがって、主催者の陰の苦労などに気を使わなくて済む。
中学生から毎年見つづけてきた60年の歴史が小生にはある。主催者の苦労は別だとしても、今回のピンチは金融機関による主催者への締め付けであることに結論づけられるものであった。
どこの会社も銀行による「貸しはがし」の実態に苦しんでいる時代だが、多分に漏れず花火大会の主催新聞社にも「貸しはがし」の実態が起きたのだ。
「花火の経費」を花火会社に支払うために会社の預金を送付しようとした主催者側が驚愕した。
会社の銀行口座が銀行側の都合で凍結されていたというのだ。銀行借入の返済が多少遅れていたからに過ぎないが、銀行側として回収する権利があるとして口座を凍結したものだ。
ならば窮余の一策として個人名義の口座から支払おうとしてまたまた驚いた。会社の返済が遅延している理由で個人名義の預金どころか会社借入の保証人になった会社幹部の口座すら凍結されていたのだ。銀行によって凍結された家庭口座の凍結には家庭内騒動も起きようというものである。
銀行による凍結に苦しんだ主催者側は米沢信用金庫に口座を開いて急場をしのいだことで花火大会の実行に漕ぎ着けたものの大会時間の短縮をして市民の夜空にかけた夢を裏切ることはないようだ。
さて、花火といえば「大曲の競技花火」や「長岡の花火」もある。が、戦後崩落した日本の復興のために元気つけようとした米沢の花火である。
今では15万人が夜空を楽しむ「上杉まつり」と同様「花火大会」実施めざして行政・観光協会らが汗を流すべき仕事なのであろう。
「上杉まつり」は各戸からの拠出金で実行されているが「花火大会」にはそれがなく、市民による協賛金によって賄われているというのだ。無理が入るのは当然だ。
その主催会社の口座のみならず個人名義の口座まで凍結する非情さは県内トップの山形銀行のなすことではあるまい。 「銀行といえども金貸しである。貸した金は病人の寝ている布団でも取る」とほざいた管理部員がいたが、山形銀行の利益の30%は市民からの手数料だ」と聞く。
社会回帰に視点をおく銀行であってほしいものだ。

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