権力の集まる処に責任があり。(その2)

2009/06/29 (Mon)
二つの裁判によって南陽市が紛糾の度合いを不幸にしているらしい。裁判の一つは解雇された元ハイジアパークの総支配人が地裁に提訴した「不当解雇による現場復帰」の訴えであり、地裁は原告の正当さを認めて職場復帰に勝訴を出した。さて、地裁の決定を間じかに迫る今月になって、ハイジアパークの某社長の名で先に提訴されて「社長の3000万円強の使い込みは事実無根の名誉棄損に当たるものだとして市内に広く嘘の宣伝をした元総支配人を被告として500万円也の弁償金を求めて山形地裁に提訴し本月19日に初公判が開かれたものである。
さて、これら二つの裁判の去就は市民の注目するところとなったが、元総支配人の不当解雇による職場復帰にかんする裁判は原告の勝訴となり8日に職場復帰を果たしたものの内容は「針の筵的ないじめ」がつづき職場復帰どころの騒ぎではなく現在は出社できない環境におかれているようだ。
裁判二つ目の争点は元支配人が市内に広めたハイジアパーク現社長の3000万使い込み事件に関する推移こそが市民の注目するところとなっている。
使い込みだとする元支配人の言質は山形銀行宮内支店の普通預金をコピーしたものを精査した結果による。施設の売り上げが下落の一途を辿る中で、社長の使い込みだと称する金額の比率は大きいものであったに違いない。裁判がつづく中でいずれ判明するであろうが、南陽市政にとって「屈辱」となる可能性がゼロではないようだ。
以前から南陽市政にはゴタゴタがつづいており、中でも水道工事にまつわる疑惑は多すぎた。指名業者の見積価格が行政の予定価格と100%合致するなど数が多く官業癒着かと騒がれていた。しかも市職員および業者の自殺が多かったことから官業癒着の疑いが市民に根強く残っているらしい。
先に問題視されていた「ヤマキチと公社」の地裁での判決を反古にした市政である一審判決どおりに2700万円を支払わずにヤマキチを倒産に追い込んだ市政である。
常に市政が市民を相手にするもめ事の多い町ではある。市民の声では市政を牛耳っているのは自民党南陽支部の権力者たちで、南陽市の議会を占拠しているごとく「市民に報せたくない問題は発言はしないこと」との陰の決まりがあるという。
ようするに南陽市の議会は自民党南陽支部に文字通り占拠されたも同然だと市民は語る。したがって議会は自民党南陽支部らの思いのままに運営されており、市民から離脱した民主主義の形骸的存在に過ぎないのだと心ある市民は嘆くのだ。
所詮、ハイジアパークの問題は議会が精査すべきものだ。が、南陽市議会は違っていた。この問題について追求を試みた共産党の議員が6月議会で再度追求するとして関係者宅を回って聞き取り調査し市民に期待をもたせながら議会がはじまると「問題の追求をしないことにした」と頭を下げて関係者を回るだけに過ぎなかった。
田舎町特有の「長いものにまかれろ」的な市民である。不条理に向かって発起する気概もなければ嵐が過ぎるのを表に出ないで陰でコソコソする前近代的な市民たちである。それを知ってか知らずにか町を牛耳じる小ボスの登場となる。これら小ボス供の勢力範囲は南陽市だけにとどまっている。
権力の集まる処に忘れてならない「権力には責任がある」という故事だ。田舎町の権力者というものは、市民に蛇蠍のごとくに嫌われているから、市民のだれもが相手にしないものだ。
南陽市の権力者の動向が市民に相手にされないことで権力者だと思い込んで行動する実はコモノたちの集団であろうよ。

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