政治の裏面に流れているものは変わらぬ悪癖か?!

2009/02/23 (Mon)
「チェンジ」を標傍した山形県知事選が吉村侯補の当選によって日本では3人目の女性県知事が誕生した。県政チェンジのために必死で努力した吉村候補の米沢事務所のスタッフは置賜地区の吉村惨敗を悔やんだことに老生は「改革に無縁な保守王国だから」と言って慰めたものだが、日本人とりわけ「事勿れ主義を好む」保守的な地盤に暮らしする置賜地域における改革は所詮無理なことだと説明してきた。が、保守置賜地方に響いた改革の地鳴りは確実に老生の感覚をとらえてきたことは事実だった。
さて、わが国の政治は、混迷する度合いを日々増幅するばかりで国民の期待に応えるどころか野党の攻勢に右往左往するばかり、野党もだらしなく政権交替を求めて政争の具にするばかりだ。
わが国の政治家が為すことは「百年に-度」だとする世界的大不況からの脱出策に英知を絞り与野党ともに努力すべき時であり、野党は政権奪取を模索している時期ではあるまい。
国民は与野党を含めた現政治家たちから信頼度を失ったという不幸を哀しんでいるのだ。いい加減政争は一時的に中止してまず不況脱却に専念すべきであろう。
政治家・官僚などわが国の核たる要人たちは、一般的に申せば世に秀いでた人物として推挙された人たちであった。が、近年「秀才」とは「金」ヘンに「秀」の字が擦り寄って出来あがった文字に見えてしょうがない。
金へンに秀の字を組み合わされると「サビ」るという文字になる。普通サビは「錆」と書くが、広辞苑をひもとくと「秀の字」を組合せて「サビ」と読ませている。
中国伝来の漢字ではあるがキナクサイものを暗示させるものだ。
今更のように漢字が示す事象の深さを織らされたようで感じ入る今日此頃である。
学業ができ秀才だと掛声の高い人物は「記憶力」が優れている人のことである。しかし社会が要求するのは「思考力の高い人物」である。記憶力だけが優れ、思考力を持たない人間が社会的に役立人物になりうるであろうか。
現代は東大を頂点とした学歴偏重主義を廃すべきであって、学歴に関係なく「思考力」の優れた人物に重点をおくべきであろう。こう考えてくると秀才だと認められた政治家や官僚らが、国家の主軸を担う彼らの周辺から汚い金を匂わせている?と感じるのは老生の単なる偏見であるか。
県知事選が終了した現在、斎藤前知事は南陽市の佐藤病院が買い取った某病院を改造し最近入居したということが知られている。しかも、勤務先は佐藤病院の非常勤待遇だ。
山形県は佐藤病院に対して多額の歳出をしている関係から、前知事と民間病院とのつながりに不浄なものがあったのではなかろうかとの噂がもっぱらだ。
佐藤病院は南陽市長戦時には資金的関与し新人市長を生んでいる。現在、佐藤病院の極度の伸張ぶりに疑問視する人たちは少ないが伸張の裏には積極的な政治的関与があるのだということがわかった。

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