自民党総裁選挙に思うこと

2008/09/11 (Thu)
福田総裁辞任問題に引き続き、次総裁をめぐって自民党内部はシャカリキになっているようだが、老生は総裁選挙権をもたない国民の一人として問題を提起したい。福田辞任によってマスコミならぬ自民党議員の中には、福田辞任を評して「なってはならない福田を自民党総裁に担ぎあげたことが問題である」と、入ごとのようにコメントする議員がいる。
そこで一言「してはいけないという福田を総裁に担ぎあげたのはテメェたちである。まず「総裁に担ぎあげたテメェたちの責任はどうなるのだ」と。
5名の総裁立候補者による「総裁選挙」の動向を見つめていると、麻生候補が議員票を半数まとめあげたと今朝の報道である。したがって、投票の実施があるかどうかだという。
たかだか県単位に平等に割り振られた一県3票の開票によって大逆転という場合もあるから総裁運は開票までは実施するだろうという声もある。
彼らは国家政治のためとはいえ、彼らのとる行動をみる以上、国家より個人の当選と栄達を優先させているのがありありとみえる。20名議員の推薦さえもままにならないその原因はなにか?
個々の立場でより栄達と地元選挙での当選だけを考えている議員たちであるからだ。だから、勝馬に乗ることだけを第一義に固守しているからだ。ここから議会制民主主義が崩れてくるのだ。
自民党幹部議員は民主党小沢党首3選を評して「民主党には議論さえもなく、小沢党首を無競争で再選したが、自民党には意見をもった5人の候補者がいる。
一人の意見に集約される民主党よりは5人の候補者で政策を論ずる党のほうが開かれた党だと思うんですがな」と、椰楡するように含み笑いで語った町村官房長官の見識の低さに慨嘆させられ、自民党幹部連中の腹の中を垣間みた思いがした。
町村議員に反論するならば「政治に議論はつきもので結構。与党を永年つづけ日本の政治を担当してきた自民党が、短命な総裁を2名も出しながら、その責任をもとらずに新たな総裁選挙にシャカリキになっている無神経さに気がつかないでいる。しかも政策や議論が煮詰まっていない現実から5人もの候補者が出るので、政策の違いが暴露されるのはいかがなものであるか。
国家を担当するに当たって基本であるべき日本丸の舵取る方向も定まっていない自民党では民主党を茶化している余裕はないのであろう。元自民党森総裁は、いまでは自民党総裁作りのフィクサー然として構えているが、自民党最低の総裁として再選を阻まれた人物であることを思いだした次第。

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