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「過ぎたるは及ばざるが如し」北京オリンピック観戦記

kage

2008/08/29 (Fri)

 クソ暑い日々が過ぎ、秋が足早にやってきたかのように肌寒く曇天の季節到来だ。

 いつもならば競技観戦に寝不足気味になる老生だが、オリンピック開幕のエキズビジョンの「これでもか、これでもか」の演出にはいささか食傷気味になって、早々にスイッチを切って眠りについた。
  一党独裁国家中国ならではの過度な演出には呆れたのだ。が一方、千年の歴史を刻む中国が国家の威信をかけたオリンピック開催国だとあれば過度の演出もむべなるかなと納得もできようが、老生らの少年時代のオリンピックの記憶は、一党独裁ナチスが国威を世界に示そうとして開催したベルリン大会であった。
  ベルリン大会後は第二次世界大戦を起こし、平和の祭典であるはずのオリンピックが全世界を阿鼻叫喚の殺戮の世界にひきずりこむ結果を生むにいたった。

 さて、北京大会が終わって世界に何が起こるのであろうか。不吉なニュースが巷を飛びかっているようだ。まず、中国の内外では破綻が起こるのであろうか。無論、オリンピック開催後はバブルの崩壊がはじまるであろうし、チベット問題がクローズアップされてくるだろう。と、同時にわが国の食料事情に問題が生じてくるのであろうか。
  国内では競技に成果をあげた選手に国民栄誉賞が配られ、期待にそぐわなかった選手たちのバッシングがすでにはじまっているという具合だ。

 「参加することに意義がある」とのオリンピック憲章はどこ吹く風といったところだ。
  オリンピックとは「より速く、より高く、より強く」が不滅の憲章であったはずだ。「参加することに意義がある」として競技種目を無尽蔵に増やしたことに反省はないのか。
  東京大会から採用された「柔道競技」は今ではレスリングとの区別もつかない競技内容に成り下がっているではないか。日本文字「柔道」とローマ字の「JUDO」とはかくも内容が違うものであるか。女子柔道もだがあれでは柔道競技の本質を失った「雌猫同士の引っ掻き合い」さながらの組手争いだけである。
 日本古来の柔道は両者ともに組手をガッシリ掴んだところから「はじめ!」の声が掛かったものであろう。「目黒のさんま」じゃあるまいし競技本来から骨抜きした西洋風柔道競技には辟易するばかりだ。

 競技から野球やソフトボールがはずれることは決まっているらしいが、ビーチバレーなどのリクレーション的競技はオリンピックに不要な種目といえるだろう。
  週刊誌は「待ってました!」とばかりに結果のバッシング記事を書き出す構えだ。金メダルの数は常連の米ソが争っていたが、そこに割って入った中国の底力は何を意味するものか。オリンピックは平和の祭典でなく、国威高揚を示す絶好の場になりつつある。

 2012年は騎士の国、ロンドンが開催地である。いかなる改革が行なわれる大会となるであろうか。競技者も全世界のテレビ観戦者もわかり易く熱狂できる競技内容とジャッジの公平さが不可欠となろう。競技を前にして脱落するなどが生じないように選手もこころすべきであろうし、過度な練習だけが記録を延ばすことではないであろう。
  いずれにしても北京大会は終了した。我々は大会終了後に起きるであろう不景気風と暗雲に包まれたチベット自治区の問題に鋭い関心をもち続ける必要があるのではあるまいか。

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