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会津頑固精神に学ぶ

kage

2008/05/30 (Fri)

 久しくご無沙汰している会津若松市に、老生が師と仰ぐ会津の頑固老人を訪ねた。

 会津には昔から余所者が馴染めないという風土がある。老生が考えるに戊辰戦争で孤立無縁のまま落城した歴史的な背景があるのではないかと思うのだが。
  米沢藩は会津存亡の危機に一兵の派兵をせず、あろうことか官軍の水先案内を申し出るような武士道に準ずることを避けた藩であった。
  雲井龍雄はこの愚さに激高し、憤然として国家老・千坂太郎左衛門を「ズグダレッ!」と罵声を浴びせて、新政府の拠点地東京に戊辰後の改革を求めて勇躍したことを米沢市民は知らない。米沢藩にとって雲井は迷惑な存在として扱われてきたことによる。

  さて、会津の知人には「会津復古会」ゆかりの人たちが多いのだが、老生が師と仰ぐ頑固老人は 88の齢を越しながら未だにカクシャクとした頑固爺さんである。 「なんとか90の坂を越してみたい」と語りながら「私の道楽の仕上げはこれからだが、妻と息子が反対してね」と笑う。爺さんの道楽の仕上げとは数十年まえから保存している「会津の本陣」の復元である。復元する場所は爺さんの胸の中では決まっているようだが、時期尚早らしく洩らさないでいる。 「会津の宝物、猪苗代湖の水瓶を会津が押さえて置かなければならない」と市長に度々進言してきたが、市長がもたついているうちに郡山市に合併で取られてしまった。どこにもバカな市長はいるもんだが、米沢の市長はどうだ?

  老人は「鶴ケ城の天守閣まで登れるエレベーターを設置して観光客の老齢化に備えることを考えよ」と市長に提言したがグズッテ実行しないでいる。「三菱に交渉して長期リースを組み、エレベーターの使用料で返済すればええじゃないか。城を訪れた観光客は天守閣まで登ってみたいものだよ、そうだろう」
  爺さんには先を読む力がある。三軒の菓子匠は「日本百撰」に入っている全国に知られた銘菓として観光客の途絶えを知らない。年間の大半は各地デパートの祭事出展で忙しい。

  他の復古会メンバーの事業救済にも手を染め復活に成功させたのも当該老人であるが、復活から繁栄につながるや「復活は自分たちの知恵と努力によるものだ」として老人を中心とした復古会の繁栄が、会津観光発展の中核となってきた事実を見極めないで復古会を退会したメンバーたちもいる。

  老人は東京駅保存から端を発した朝日新聞記者の運動から「全国町並み保存会」を結成し第3代目の会長を8年務めた方で、老いて益々意気軒高な老人である。「まだ沖縄から要請されパネラーとして出掛けるんだよ」と嬉しそうに笑う。NHK教育テレビで馴染みの老人だから知る人ぞ知る人物だと申しておこう。

  この老人が収集した歴史的価値の高い骨董品の多くは中近東の遺物である。いまでは勿論、国外持ち出し禁止の遺産ともいうべき発掘品で、中には高僧の頭蓋骨になる髑髏杯で茶会を開いた話には鬼気迫るもので、今以て「祟りの恐ろしさ」を信じて疑わないご仁でもある。

  もう一人の老人は奇っ怪な風貌と想像だにできない過去をもつ老人だ。戦時中は小玉機関に属し小玉に命令する立場にあって、戦後はマッカーサー元帥を怒鳴りつけた怪物である。無論、国籍を取り戻したのは数年前のことであるが、国籍を末梢してのシンガポールに潜入で、ジョホルバールの水路を断った人物としてイギリス軍に迫われ大陸を逃げ隠れしたものだという。第二次世界大戦中のこととなると夜中まで夢中にさせられるのだが、老人は不思議と眠ることを忘れた人間のようで「何日でも飲まず食わずの生活」に慣れきっているのだという。鶴ケ城の堀のほとりで独りひっそりと暮らしている。

  午後の6時を過ぎて店が閉まると二人の傑物を囲んで「カーデルマエパーティ」が毎晩のようにはじまる。「蚊の出る前のパーティ」ということで粋狂な名称である。 時折老生もパーティに参加するが、枯れた人物たちのパーティだけに艶聞は聞かれず地元政治が決まったようにマナイタに乗せられる。「次期市長はだれにしよう」「県知事はだれにする」元毎日新聞記者らも交じって喧々諤々と話題が広がる。「米沢は温和しいぞ」とからかわれながら夜が更けてゆくという具合だ。
米沢では望んでもそんな会合は知らない。堀を渡る涼風に身を委ねてのパーティが延々とつづく。

 考えてみると「人口比率にして赤い暖簾が日本一の若松市」である。この原因は「無尽講の発展」であろう。
  戊辰戦争の敗北で悲惨な目にあった民衆が隣人の助け合いのために育った無尽講であろうか。全市に広がっている講であるがゆえに、集いあうための場所が赤い暖簾なのである。老生も案内されて講の現場を訪れたことがある。
  グループのメンバーが各々1万円也の金を出しあって、抽選や順番で集まった講の金を持ち帰り使えるシステムなのだ。一口10万円の会もあるという。「講の金を持ち逃げされることはないですか?」と老生の問いに「たまにはあるサ」と、意に介さない返事が返ってくる。届託のない会津気質に老生は驚くばかりだ。米沢にはない会津での話である。

  会津には「三泣き」という言葉が残っている。はじめは会津の人たちの人柄の冷たさに泣かされ、会津になじんでくると、なんと人情豊かな町だろうかと感激し、会津を去らねばならなくなったときに流す別離の涙」である。
  久方ぶりに訪れた会津若松市である。老生に同道した企業の若者もそれなりの接待を受け、予想だにしなかった傑物老人の話に、世間を広くしたようだ。
  老人には原稿の書き方を手ほどきしたことがある。以来、文章に表現力が出て新聞のコラム欄や会津の歴史を書き綴って読まれているようだ。その点では老生は師ではあっても、人生の深さや、鈍欲な知識欲や先を読む慧眼には敬服するのみである。いつまでも達者でいてほしい人物である。
  申し遅れたが「ジドバ」なる健康維持食品を自ら開発して日大薬学部に持ち込み販売に結びつけているという具合だ。蜂蜜をベースにし「またたび」と「会津人参」を融合させたもので老生夫婦で愛飲しているものだ。
  彼らは言う。「米沢には漬物の旨いものがある。漬物だけは米沢にかなわない」とシャッポを脱ぐ会津の人々である。米沢は自らの産物を熟知しているだろうか。会津には「漬物」と「牛肉」はないに等しい。まず、隣町が求める産物を売り出すことだろう。場合によっては開拓の手伝いも辞さない老生である。

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