中国は経済大国でありつづけるか?

2008/05/22 (Thu)
今年のオリンピック開催国は中国である。国民の政治的総意である選挙を一度もしたことのない中国が陸の祭典を開催する。各地で起きた聖火リレー時の紛争は、国際紛争の火種として予知されていたものだけに当然起こるべくして起きた紛争であった。聖火リレーは、かつてナチスドイツが国の威容を世界に誇示せんとして行なったのがはじまりであった。その結果、第二次世界大戦が勃発したのは記憶に新しい。
北京オリンピック開催年に起きた四川省大地震がもたらした被害規模の甚大さを考えてみると、大国にふさわしい建造物とはいえないものである。5階建ての学校が潰れるなどして被害は子供が大半である。しかも、官僚たちの執務する建物は被害ゼロに近く、大国の格差社会が世界に広く露呈することになった。
大国たる威信を示すために形だけのハリボテ校舎であったことが判明、しかも日本からの救援隊を-時拒んだ対応にも国情から、自国救援活動の立場を優先させる必要があったという御粗末さだ。したがって国家は人命救助より先に大国としてのメンツを重要視したのである。
一方、軍事政権ミャンマーは未曾有のサイクロンによって壊滅的な打撃を受けたが各国から寄せられた援助物質や義援金は頂くものの救命活動による人材の入国を拒否する理由とはなんであるか。力づくで民衆を押さえこもうとする軍事政権の暴力制圧の実態がメデアによって広く世界に知られることの恐れからであったろう。
中国もオリンピックという世紀の祭典開催をもって、先進国としての宣布を試みてのことだろうが聖火リレーに起きた恥部は拭われるものではない。大国のエゴによって繰り返されてきたチベット自治区への世界的世論の反発が、火柱となって噴き出してきたものである。聖火リレー通過各国はチベット自治区と中国の国旗によって赤の大地に染め抜かれた感がある。これは拭いきれない大国の恥とすべきもので悪の論理を力で押し切ろうとした大国の無様さだとしか思えない。
各国の警備態勢に飽き足らず国策から聖火リレー警護スタッフを送り込み、しかも国家負担によって大量の国旗と旗振り人材を大挙して日本に送り込み沿道で旗を振らせるなどの行為の裏側は茶番に満ち、大国の威厳を死守しようとした中国のひ弱さが逆効果を生んだことは今更のごとく申しあげることではあるまい。聖火がエベレスト越えをしたことは偉業ではあろうが、単なる開催国の演出だとして感銘すら受けないものだった。
日本の経済会は中国の経済伸張を高く評価するが、それは上海での経済伸張であり中国全体を評価したものではない。着実に貧富の格差は中国大陸を襲っていることは確かなことだ。
問題の中国製ギョウザから発生した農薬漬の中国製品は主婦たちによる嫌悪感はすざましい。が、日本農政の貧しさから中国野菜に頼り切った結果、内地からの野菜不足で価格は高騰、価格が台所事情を歪めつつある有様なのである。
経済至上主義一辺倒の世界である。サプリメントの材料は中国からの輸入である。これは米国製品も同様であるから、サプリメントでさえも安心して口にできない事情がある。そんな中での中国はオリンピック開催国である。それでもメダルを目指してシャカリキのスポーツ界である。参加を拒否できない理由が中国との経済政策にあるようだ。
モスクワ・オリンピックに不参加を貫いたわが国であったのだが。

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