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家康を怒り狂わせた武将「直江兼続」の書状が主たるテーマになるか?

kage

2008/04/21 (Mon)

 本会のブログにアクセスされた回数が本日で40万を超えた。
最近「情報がない」とお電話を頂く。 老生考えることがあって次回作の取材をかねて安曇野に車を走らせていた。
 越後路に入り、来年度に放映される戦国武将「直江兼続」の出生の地を通過しながら「天地人」ドラマはいかなる手法で展開されるものかと考えてみた。

 米沢では「御堀端史蹟保存会」が郷土史家井形朝良の著作「直江兼続公小伝」をすでに7、000部売り捌くなどして、いやが上にも放映は歓迎ムードでいっぱいである。 他にも史家が著した作品が書店で売られている。
 当市の安部市長はとりわけ歴史に造詣の深い方だと聞いている。ドラマの主人公「直江兼続」は越後の人物だけに米沢との関わりを、ドラマはいかなる手法で書き上げられるものであるか興味はつきないものがある。

 仮に老生が「直江兼続」なる人物を書くことになれば、世にいう「直江状」なる徳川家康に送った「返書」をまず主題にする。
 秀吉の没後、会津に戻った景勝は、城郭を修理し、兵糧や武器を集め浪人を抱えるなどして家康を危惧させていた。 景勝主従といえば石田三成と肝胆相照らす仲である。 危惧した家康は「謀叛の噂これあり上洛せよ」と命じたが景勝は応じない。 業を煮やした家康は「噂を箇条書」にして突きつけた。
 これに対する兼続の返書である「上方武士は今川焼きの茶わん、炭取り瓢などの人たらし道具の御所持の由、田舎武士は、槍鉄砲弓矢の道具つかまりたく候。その国々の風俗と思し召し、御不審あるまじく侯。」

 いわく当時、武器のことを道具と上品にいう習慣があったのを、兼続は逆手にとって「われわれ田舎武士が槍や鉄砲を集めているのは、そちらが茶道具を集めているのと同じことですよ」と壮烈に皮肉り「徳川殿が当家をお討ちにこられるというもっぱらの噂ですが、その時はお相手いたしましょう」と送ったのだ。
 家康は「生涯これほど無礼な手紙を受け取った覚えはない」と切磋扼腕して怒り狂い家康自ら大軍を率いて会津征伐に赴くのである。
 その途中、上方で石田三成の挙兵を知った家康は咄嗟に大軍を返して江戸城に向う。 この時「直江兼続」は景勝に「上方の石田三成の挙兵を機に家康を挟撃する殲滅作戦」を進言するも、景勝は「謙信公は敵の背後を襲うごときことはしなかった」として動こうとはしなかった。 上杉の背後を狙う伊達、最上両雄藩の存在があったからであろう。常に上杉藩は「前門の虎、後門の狼」に曝されていたことの事情によるものであったろう。

 余談ではあるが、兼続が景勝に進言したように「石田三成の挙兵に供応して、家康を北の会津側から挟撃作戦を展開していたら、天下の形勢はいかがなものになっていただろうかと妄想することがある。
 兼続は知将として、策謀うずまく乱世を楽しんでいたであろうが景勝は戦国武将として武士道を重んじたのであろう。
 後日、関が原の合戦で、豊臣方についた上杉軍は、徳川方の勝利によって会津120万石を没収され30万石の家臣兼続が領地米沢に追われた景勝である。 ここに智将兼続の先を見る眼力と武将景勝の「悪の論理の相違」が見られる思いが彷彿としてくるのだ。

 京都聚楽第での逸話はどうだろう。諸大名が集まった時のことだ。伊達政宗が懐から金貨を取り出して見せびらかした。みんなは珍しそうに眺めたが、兼続は開いた扇の上に金貨を乗せて見ている。
「遠慮はいらぬ」と政宗が手にとるように勧めると兼続は「鎌信公の代から先陣を申し付けられてきた兼続、銭は下賎の者のもち扱うものゆえ、軍兵の采配を握る手が汚れます」といい放ち、政宗の前に金貨を投げ返した。 政宗ともども同席の諸大名も大いに赤面したという。

 ドラマとはそうしたものだ。

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kage


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