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二審(仙台高裁)判決の怪?最高裁への道 ②

kage

2008/03/03 (Mon)

主文

1.一審被告の控訴に基づき、原判決中、一審被告敗訴部分を取り消
  す。
2.一審原告の請求(当審における請求拡張部分を含む)を棄却す
  る。
3.一審原告の控訴を棄却する。 訴訟費用は、第1,2審を通じて、一
   審原告の負担とする。

 南陽市土地開発公社は平成12年南陽市西工業団地として造成をはじめた。  造成地の一部に市民から買い上げた養鯉池が含まれていた。  この池には多数の産業廃棄物が投棄されていたことは知る人ぞ知る事情があった。

  開発公社から要請されて造成したのは松田組。
①(造成地のN値)当然ながら争点となった。公社開発の団地から予
  想できない廃棄物の埋没が発覚した時点で、工業団地としての役
  目を果たせるかどうか問題視された。
②問題の土地は4,325万1600円でヤマキチが公社から求め、
 平成1年1月頃本件土地に工場を建設しようとして当該土地から産
 業廃棄物が発覚して、驚いたヤマキチ側が土地公社に抗議した。

 事件を重くみた公社の大沼事務局長が埋没している廃棄物の処理を発見したカロ藤建設に依頼し除去費用73万5000円を支払った。

  加藤建設は基礎工事の途中で、当該土地に常識を超えた廃棄物が埋没されているのでは ないか? と工事を進めていく過程で、外部からでは予想もつかない廃棄物の種類と数量が発見されてきたのだ。

  ヤマキチ側は幾度となく公社側に連絡して善後策をとろうとしたが公社側は「土地取引特約条項」を盾に当該地に顔も出さなくなっていた。

 ヤマキチ側は「外見からは土壌の状態はわからない。公社が工業適地として公に販売した土地だから公社の造成を信じない訳はない」 しかし公社側はあくまでも」「特約に合意した」ことを盾にして応じなかった。
○土地取引に関する特約事項
  土地引渡し後に、数量の不足などの問題がみつかっても、代金の
  減額や損害賠 償請求・契約解除はできない。

  第二審は「特約事項」を全面に出し、埋没物の出土の事実やN値を軽んじる判断が見え隠れする公社側に軸足をおいた判断であり、これを正常な司法判断とするには無理がある とみる。

  抗争の起こりは公社造成の当該工業土地を求めたヤマキチ側の公社に寄せた信頼を反古にされたように地内から埋没されていた産業廃棄物が出土したことによるものだった。

  司法の審議軸足は原告側になく、公社側との[取引き特約事項]を優先させる結果となっている。

 本会は20数ページにも及ぶ判決文を熟読して思うことは、司法判断必ずしも正当な判断とするには無理があると思えた。
  人を裁かねばならない裁判官には聖域というものがあり必ずしも市井の人達とは同一の暮らし向きをしないもののようである。

[ある判事との出会い]
  マタギ取材のため福島県檜枝峡村に投宿していた時のことである。夕方になって空模様 が急変して雨足が物凄いものになっていた。と、びしょ濡れになった登山姿の30代の男 が飛び込んできて、宿の女亭主とやりあっているのだ。
 事情を聞けば宿に予約しておった ものの女亭主が度忘れしていて、あいにく当夜は部屋がないのだという。 登山姿の男も困ったが、予約を忘れた宿側も当然困惑していた。
 そこで私は「合部屋で よければ」と男を向い入れ少量の地酒を勧めながら尾瀬談義でもと話を向けていった。 が、寡黙な男だったが「朝早く出立するので失礼して休みます」と布団にくるまり、し ばらくして寝息をたてて眠りにおちていった。
  早朝とはいえ、同宿の男が出立するのである。私が目覚めた時にはすでに男は登山姿に なっていた。
 彼は「昨夜は助かりました」と礼を述べ「会津栗駒を踏破し、尾瀬を歩いて 前橋に帰る行程できました。

 申しあげませんでしたが、私は前橋地裁の判事をしておりま す。仕事が仕事だけ行動に制限されることが多く、休暇は一人で山で暮らすことにしているのです。」
  私は高徳牧場から仕入れてきた牛乳を水がわりにと前橋の判事にあげ、一期一会の出会いを今でも不思議に覚えているのだが、そこで判事という仕事の性格上、俗人との交わりをできるだけ避ける宿命にある仕事なのであろうか。
  「休暇は山と向かい合って過ごす」判事の言葉には、山好きの言葉とは違った雰囲気が漂っていたような気がした。

  人を裁くという天職に属する判事とは、一般社会から離脱したした聖域ともいうべき限られた場所でしか暮らせないとするならば、一般社会から毒されないかわりに「人間としてあるべき行動規範」に立脚した判断が可能であるか否か。

  私の友人の兄が独力で判事になったが、自殺した友人の葬式にも顔を見せなかった。
  その理由は「裁判官研修中であるから」だった。 「裁判官と家族ぐるみの交際だ」という話を耳にしたことはないが、判事たちの生活の場は決して広いものではなく、一般社会から隔離された「司法界の社会」が存在するのであろうか?
  判決の軸足が極端にズレたところで判断がなされているように思えて疑念は拭い去れないのである。

 「法律の盾、正義の名の下に行なわれる暴虐より残忍なるものなし」                                   モンテスキュー

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