パン給食大ピンチ ---パン給食は米国の陰謀か?

2008/02/18 (Mon)
忘れもしない昭和30年頃のことだったと記憶している。途方もなくエライ学者殿が「日本が負けた原因は米を常食にしているからで勝者の連合軍はパン類を食している。この差が勝敗を決めたのだ」と宣ったことを覚えている。
報道によると当時のアメリカは小麦が豊作で小麦あまりが国家の課題にされていた。そこで米国政府は「日本の学校給食に着眼したという。
日本は食料の自給率が低く児童の給食にパン食を薦めれば国内に残留する小麦の不良在庫が日本で大量に捌けると見たのだという。 かくしてパン食になる学校給食が全国に広まることになった。
本来、日本人は米食が主食となっていた。それをパン食に代えたのである。 したがって政府は米の減反政策をとり、輸入小麦で供給率をあげてきた。
国家を支える根源は食料である。だが食の自給率は40%にも満さたずに小麦などによる輸入で日本の食料を賄ってきたのだ。
国内で生産される米を古々米として倉庫に山積みしながら、国民には相変わらずパン食を与えて米余りを強調してきた。が、ここにきて小麦の暴騰によってパン食が危険水域に入ってきた。
ならば給食は米食主体の献立になるのであろうか。 パンに変わる米食か、あるいは米粉による「米製パン」であるかだが、いよいよわが国の自給率を本気で考えるところにきたようである。
本来、老生は学校給食反対論者である。
わが子に授乳するのは母親のかけがえのない役割である。給食によって子供たちの食事の一部を他人の手に任せることにどんな意味があるというのだろう。
母親が管理しなければならない授乳や食事を子供たちから離した時から、母と子のゆるぎない愛情に水をさすことになったのではないかと思ってきた。 母と子の関係が今ほど問題視されたことはないのだ。
嫌なことだが、日常茶飯事におこる親子殺しなどの犯罪の原因は何かを探ってみれば、意外や親子の断絶は母親が授乳を拒否した時にはじまっているのではあるまいか。
戦時中、敵の砲弾に当たり一命を捨てる時「天皇陛下万歳ッ!」と叫ぶ兵士の数は少なく「お母さんッ!」とわが母の名を呼びながら戦場に倒れていったという話を老生は多く耳にしてきた。
神風特攻隊員が片道ガソリンで死地に赴く前夜は「ほとんどの隊員が書き残しす遺書には母親に感謝する心根がしたためてあった」 と遺書の数々を昭和万葉集の中から読み取れるのだ。
父親とは間をおいた母親への憐愍の思いは母と子が相互関係で育てあげたものであろう。
母親とは授乳するごとに子供への愛情が深く結びつくものであろう。末っ子の老生は恥ずかしながら小学校の1年生まで母親の乳房を恋しがっていたものである。
老生は95歳で終焉を迎えた母を家族とともに看取ったものである。子供にとって父親とは別のところで母親に甘えたいものであり、母親が作る湯気のたつ食事を恋い焦がれているものである。

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