市町村合併を考える -11-

2008/02/01 (Fri)
⑨ 市町村合併の先達に学ぶ市町村合併により誕生し、当時「日本一の広域都市」として注目され
た「いわき市」がある。
合併以前の常磐地方は本州最大の炭田地帯として石炭を中心に産業が栄えていたが、石炭から石油へと代るエネルギー革命に、地方は徐々に斜陽化の道を進む状況にあった。
このため、石炭に代わる産業として工業中心の地域振興策が検討され、昭和39年「新産業都市建設促進法」の指定を受ける運びとなった。
折しも、昭和40年に制定された「合併特例法」を機会に、行政基盤の確立した新産業都市建設が計画され、昭和41年5市4町5村の対等合併で「いわき市」が誕生した。
そして現在、人口36万人、製造製品出荷額は1兆700億円を超える額となり東北地方第1位の実績を誇る工業都市となった。
四谷いわき市長の「合併はそれ自体が目的ではなく、合併を契機としてどのようなまちづくりをしていくのかというビジョンを住民の方々に示して、その理解を得る努力が重要」との文言は安部市長に送りたい言葉である。
「いわき市」から学ぶ点は「人口30万人以上の中核市」「工業中心のまちづくり」というビジョンを明確に打ち出し「合併特例法」に沿って合併を進めた事だが、注目すべきはそのスピードである。
すなわち、昭和40年に特例法が施行されると翌41年には「いわき市」が誕生した事は「新産業都市建設促進法」の指定をうけるための市町村間コンセンサス(合意)が有ったにせよ新法に対応するスピードは驚きに値する。
40数年も前の話なので資料を見つけることが出来なかったが、合併を進めるには先見の明がある偉大なるリーダーが存在したのではなかったか。
「わが町の合併」に目を転じると「リーダーシップを取る」と明言したのは安部三十郎市長である。そして打ち出したのは「期限を定めない事務方による合併論議」である。
新聞によると、今月29日合併にむけて第一回協議会が開かれたが「財政、まちづくり、コミュニティ」の視点から5月まで、合併後のモデル作り作業を事務方が行うという。
これには老生、安部市長よ4年間「市長ごっこ」をし、今度は「合併ごっこ」か!と憤懣やるかたない思いである。
なぜなら、前に述べたが「合併特例法」の適用か否かでは財政に雲泥の差が出るのであるからして、それを決めずに話を進めてもナンセンスというものだ。
もう一度言うが合併すれば地方交付税は減額されるのだ。それが「合併特例法」の適用なら、5年間は合併しないとみなした3市5町合算分が交付され、その後減額となるが、特例法の適用外なら即に年間100億~200憶円が減額となるのである。
いわき市長にまつわるエピソードがある。竹下内閣が日本中の治自体に「ふるさと創生資金」として1億円をバラまいた際「36万人の市も1万人の町も同額とは腑に落ちない」と怒りを露にしたという事だ。交付税とはそういうものなのだ。
本来は人数に比例し、人口の多い市は多く配分されるのが平等というものだろうが、逆比例するのが地方交付税である。これを「調整係数」と呼び、合併により人口が増えれば減額される仕組みである。
協議会では鶴岡市の「合併後の講演」を聞いたとのことだが、新鶴岡市は「旧合併特例法」の特典である「10年間は合併しないとみなし、合算交付税がもらえる」それに旧鶴岡市は合併の核となりうる財政力を持っての合併であった。
その鶴岡市も合併前の「実質公債費比率」17.9%は合併後19.2%にダウンし、特例法を生かしても合併は決して簡単なものではない事がうかがい知れる。まして財政力の弱い置賜全域の特例法適用外合併は「貧民連合」といわざるをえない。
どうせ聞くなら「貧民連合」の成功例であろう。
安部市長よ、事務方にチンタラと「将来のモデルづくり」など任せていないで、いわき市の倍以上ある日本一広大な面積に、いわき市の70%の人口でどのようにしたら税の負担増なくして市民サービスの向上が可能なのか、まず市長が構想を述べるのが肝要であろう。
それが「置賜全域合併でリーダーシップを取る」との選挙公約の実行であり、事務方に任せるのは無責任極まりない行為である。
《続く》

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