受賞者の顔(内藤政利君・旭日小綬章)を祝す。

2008/01/28 (Mon)
昨年秋の叙勲で老生の級友内藤政利君が「旭日小綬章」を授賞された。昨晩、老生も祝賀会に招かれ300人余の参会者と共に名誉を喜びを分かちあえたことは誠に嬉しいことであった。
型通りの祝辞の後に授賞者として挨拶に立った彼の挨拶は白眉だった。「人はひとりでは生きて行けない。人との交わりの中で生きて行くものだ」
その言葉は、戦後興讓館高校千喜良英之助校長が常に薫陶された言葉であったことを思いだした。彼の心の奥底に生きづいていた座右銘であったのだろう。
そんな彼が地方政治に志を立てたのはまさに正解であった。彼には奢りがなく、常には笑顔で人に接する特質があった。よくぞ疲れないものだと老生は思いつづけてきた。彼にはてらいのない政治哲学があったことを改めて認識させられたものである。
いまは万感の思いをこめて「おめでとうと申し上げたい。「おい内藤、モーニングの新調に金がかかったべ」帰り際に老生の毒説を浴びたものの、授賞者として気品に満ちた彼にモーニング姿がよく似合う彼に改めて「おめでとう」と挨拶して帰途に着き、妻の酌で嬉しさを噛み締めたものである。ちなみに彼の妹御と老生の妻とは東高校の同級の仲である。
今まで老生は彼を違った見方をしてきたようだ。高橋幸翁元市長の政治を一途に支えてきたように思いつづけてきたが、彼の挨拶を聞くにおよんで高橋幸翁とは距離をおいた彼の政治哲学があったことに気づいたものだ。
高校時代から高橋と内藤との仲は一枚岩で「赤の兄弟」と言われ続けてきたきらいがあったからだ。当時の高校には「昼間部」と「夜間部」の二部制に分かれていて「稼業を継承する者」や「農家の長男」らは夜間の二部に勉学の道を選んだものである。その点では現在の「定時制高校」とは多少意味合いが違うようだ。
また老生のように「家計を支える立場」にいた者も同様に昼は一般勤労に従事し、夜間に疲れた体を勉学に通うという自由時間を持てない勤労学生群がいたことを記憶に止めて頂きたいものである。
貴重な時間を彼はバスケットのレギュラーとして活躍しながら、高橋幸翁と生徒会の会長副会長として政治活動に目覚めて行くことになるのだ。
高矯を最年少の市会議員に送る中心人物は内藤であり、老生は高橋と三輪車に同乗して当時の砂利道を遊説して歩いたことを思いだす。高橋を当選させ、彼は遅れて立候補し市議会入りしたが、あくまでも高橋主導の議員活動であると周囲には見えた。彼はあくまでも高橋の城内家老としか世間では評価していなかったようだが、高橋を市長に当選させた晩、彼は老生に「市長にするまで十年かかったな」と感慨を洩らしたものだ。
あまり表面に出ることを好まず作家活動にうつつを抜かしている老生だったが、300余名の参会者で埋め尽くされた会場には老生に声をかけてくれる懐かしい知人達も多く日頃の無沙汰を恥じ入るばかり。「内藤、良い政治家になったな」

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