嫁が田舎の姑にいった言葉を引用すれば

2008/01/17 (Thu)
孫見たさに田舎からはるばる上京してきた老姑に親切気に嫁がいった。「都会の信号は田舎と違って、赤になったら道路を渡るんですよ」
そのあと老婆はどうなったかは知らない。
同じことが政治によって繰りかえされている。「暫定ガソリン税」の値下げ問題だ。「暫定」という言葉の意味は?
都会も田舎も同じく「しばらくそれと定めること・かりにとりきめること」と広辞苑には書いてある。
「暫定なる処置」を繰りかえし積み重ねていくことによっていつの間にか「暫定処置が正常な処置になる」恐れが国民にある。暫定ガソリン税が道路財源になるという政府の考え方は国民の支持を受けたのはひと昔前のことだ。
ガソリン税に暫定ガソリン税を足して、合計した価格にさらに消費税だ。「日本国は税金に消費税をかける国」不思議な国である。それでいて消費者が黙っているこれまた不思議な国民である。
税金に税金を上乗せした価格を払わされてきて抵抗もしない国民である。
国民の「赤信号」は、政府官僚の常識からは常に「青信号」であるか?道路が必要であれば「国家予算」の中で作れば良い。予算を策定するのは政府筋であっても、予算案を承認するのは立法府の議員である。
ならば疲弊した国民からの血税に固守する前に、国民から見れば格差社会の中で優位な生活を保証されている議員たちの足元を留意し、無駄のない行政を断固行なうことである。報道されているような「無駄使い」や「拝金主義」を撲滅する勇気こそが国民から求められている責務である。
昔の政治家は「井戸塀」政治家と言われたものだ。政治のためには私財を投げうつ政治家魂があったからだ。私財を肥やすためだけの議員を国民は政治家と呼ばない。恥辱にまみれながらもなお「花も嵐も踏み踏み越えて」は愛染かつらの唄だけにとどめておきたいものだ。
安部市長もまた「花も嵐も踏み越えて」と題した綴り方風のエッセイともつかぬ文章で悦に入っているようだが、踏み越えて成す努力の方向がデタラメでは市民はどするというのだ。もはや安部は市長の器ではない。
昨今の官僚の中には防衛庁だけでなく、国の機密をロシアに売り渡した官僚が懲戒免職となったとニュースが報じている。 金のためには「なんでもあり」とする議員官僚たちの腐った根性は国民の宝刀でブッタ切りたいのが心情だ。「暫定」を積み重ねてゆくことで国民に馴合い的にあきらめさせる手法は断じて許されない。たかが25円の暫定税であるが厳寒の北国では灯油の値上がりは死活問題である。
国民は老姑ではない。嫁の甘言に惑わされることなく信号は「青」で渡ることを忘れない。暫定の解釈も本質をも反古にして「青」を「赤」だとする政治家とは国民を愚弄する低次元な政治家だとはいえまいか。国民は議員官僚たちのもつ「権力に巻かれる下僕」だけではいられないのだ。 4

市町村合併を考える。 -7-≪ | HOME | ≫中央商店街開発で今できることは? 一方通行の解除から。
コメントフォーム

この記事へのトラックバック

この記事のトラックバックURL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)