寝正月中に考えてみたこと・初日記 忿懣などは いざ知らず。

2008/01/08 (Tue)
書籍の山に囲まれた寝正月だったが、ただ寝呆けていたわけではない。昨年の反省をこめて真摯に老生なりに考えてみた。まず、昨年の米沢市長選の結果だが、米沢市民が選んだ市長だから後悔するなら市民の責任ですればよい。それよりも落選した候補者について物を言いたい。
市民期待の野村だがはっきり言って大きな選挙を知らない。老生は過去に見られた28票で明暗を分けた市長選挙の中枢におり当選の祝いの席で指名されて「万歳三唱」をやった老生だから大きな選挙を肌で感じている。
野村の敗因は「当選するならカッコよく当選したい」が第一の敗因だと思う。それに野村の場合県会議員の選挙から一歩も外にでようとしなかったことだ。
県会議員選挙は4名当選の選挙であり、首長選挙はたった1名だけの当選である。これを野村の選対本部は認識していなかった点にある。選挙とは政治手腕や格づけじゃない。勝つか負けるかである。
野村の基礎票は1万票はあったろう。この票数は野村が県会議員選挙で得た得票数である。しかもこの票が不動の票数だろうと目論んだ数である。
後援会長や選対本部らもそのままの態勢で元議員たちとの話し合いもついていないザマだ。
市政能力に欠如ある安部が相手であれば県会副議長を経験している自分の能力からすれば勝つのはあたりまえ負ける気はしなかったのであろう。この思いこみで市長選挙を甘く見すぎたのではあるまいか。
老生が関与した28票差の選挙では、老生が所属していた米沢ロータリークラブ会員に働きかけ、絶対不利だという高橋を勝利させたエネルギーを老生は忘れていないのだ。
本会もスタッフの意見をまとめて野村の応援をした。本会の名でチラシも撒いた。選挙管理委員会からは小言めいた話もあった。が、違反であれば安部陣営のマニフェストに違反があると一蹴した。
結果は米沢の有権者が選んだ答えが安部ということだ。米沢市政にとって安部はマイナス要因だが「安部天晴れ」という外にいいようがないではないか。それが民主主義国家というものだから老生は「野村に市会議員として論戦を張るべきだ」と書いた。郷土に対する野村の志が高ければ老生ならそうするという意味だ。
書込み氏の中には「格が違う」だとかわけのわからない異論もあるが、郷土を愛する気持ちが本音で健在ならば地べたで市政を考えることだ。
市議「一新会」所属の議員のブログを読んだ。市職員が出している機関紙「おはよう」の記事の中に恐ろしい記事を見付けたと書いている。一新会の修正案が議会を通過したことによる市職員らの記事である。
「修正案が通ったことによって期末手当ての総額1200万円がフイにされた。これは人事院勧告を無視する行為だ。したがって減額された1200万円を反対した議員からムシリ取る。そのために断固戦うという内容のものだった」
老生はその機関紙を手に入れたいものと秘書課に電話を入れた。答えはこうであった。
「当該機関紙は市職員同志のもので、外に出せる性質のものではない」と職員事務局の返事だった。
「議会の修正案が通った以上、人事院勧告は無用の長物だ」それに疑問をもつなら人事院勧告を勉強せよ。人事院勧告というのは目安であるに止めてある。
いつまでも金科玉条のごとく勧告を是とするようでは市職員など勤まるはずかないではないか。
議会の決議に異論を挟むようではもはや公務職が勤まらないのが常識というものだ。つまらない職場を後にして一般社会で暮らし向きを立てるべきがスジというものだ。それもできないようでは「市職員は乞食同然」。
金額の大小を問題にするのもよいが手前らは与えられた仕事だけでなく、市民に奉仕する気概をを失ってはいけない。虫けらにも魂はあるものだが、市職員たちには公僕としての魂すらないのであるか。
副市長からして「公務員の待遇がよくない」と絵空事をほざいているようだが、市長も欠陥商品なれば部下の勤労意織も下落するというものだ。
戦争は良くないが、戦い散っていった同世代が唄った歌だ。
「♪.燃料片道 涙で飛んで 行くは琉球 死出の旅 地上離れりゃこの世の別れ 想い出します 母の顔。 雨よ降れ降れ せめての雨よ 整備する身のこのつらさ」
「沖のかもめと 飛行機乗りは どこで散るやら果てるやら ダンチョネ タマは飛んでくるマストは折れる ここが命の捨てどころ ダンチョネ。俺が死んだら三途の川で鬼を集めて相撲とる ダンチョネ」
わかるだろうか男の生きザマというものを。

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