「泣くことは止めよう」

2007/12/10 (Mon)
社会には不条理だと思われることが多いものだが「泣くことは止めよう」。テレビ番組じゃないが「必殺仕置き人」の場になってくれという要望もある。時代が時代だから「必殺仕置き人」的なハードな行為は望むべくもないが、社会の不条理に対して本会は戦いを挑んできたつもりだ。まず、諸悪の根源だとされる「随意契約」の廃止問題や教育問題。他に市政の不条理に敢然と向き合ってきた。
日本の防衛を司る防衛省官僚の汚職事件。国家を信頼して積み立ててきた社会保険の出鱈目さ等々・身近なところでは安部市政の「頼りなさ」に加えて実行力の欠如。パフォーマンスだけに彩られたマニフェストの嘘々などには市民はいささかも動じない選挙結果だ。言わせてもらえば マニフェスト」の大版印刷の部数と配布回数に「資金の出所に疑問を持つ」。おそらく選挙資金制限法に髄触しているのではないかとの疑いがある。「みんなの会」による全戸配布ということだが、たんなるボランテアだけでできる行動力であるかどうかだ。選挙管理委員会は勝者側にあるから一見落着としたいところであろうが、その後の議会では、肝心の再選市長がご乱心ときた。安部市長は県知事の言葉を借りれば「自分の意見を持たない市長」であり「本心を明かさない人物」のようだ。陰湿な性格の持ち主のようで、陰では「庁舎使用規定」すらも守っていないのだ。しかも副市長までが「市長はいいのだ」と宣う感覚が限りなく市役所を腐らせていく元凶であることも事実だ。
「なにを市民ごときが」は中央官僚の国民を見る目と相通じているようだ。「国民ごときもの-」である。 国家は「歩」によって成立しているものである。「歩」なき将棋は負け将棋である。民衆の力で手前らは飯を食っているここを忘れないことだな。
書込みの中に老生の名前の人物がいる。箸にも棒にもかからないようなくだらない人物のようだが、老生の実名を使ったところで文体および内容が異なることから読者に気づかれているのだから、やめたほうがよいとだけ言っておこう。
老生の主張は常に左の欄を使用し、右の書込み欄は意見のある書込み氏のために準備してある。老生は右の欄を使用することはないからだ。
本会のアクセスが36万にもなろうとしているが、専門家によると気宇なアクセス数だと教えてくれた。米沢市民が全国的にみて「後進的な市民」だと捉えられないためにも、少しは健全な意見交換の場にしたいと考えているのだが、なかなか「関係ない族」がいるようで情けなくなることもある。無論、老生に対する誹謗中傷も結構だが、それだけでなく真撃に討論することのほうが有意義なことだと考えるものだがどうだろうか。

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