流行語大賞「そんなの関係ねぇ!」に思うこと。

2007/12/04 (Tue)
老生は植木等の「無責任時代」が巷に席捲し人々に共感を得た時期を覚えている。その時から老生は世の中の退廃を予期していたといえる。たしかにその時点からわが国の無責任時代がはじまり退廃ムードが社会全般に広がりを見せていったと感じるのは老生だけであろうか。
以来、勝手なマスコミによって流行語大賞が造成され国民の中に浸透していったのはたしかなことである。
マスコミといえば新聞各社の報道よりは「テレビの映像による影響」が強いと思える。
考えてもみよう。相もかわらず芸能人やテレビタレントたちによる営業番組の多い中にあって児童に限らず未成熟な精神構造をもった青少年たちに与える番組の多いことにいささかの反省ももたないテレビ局でありスポンサーである。
視聴率を金科玉条だとするテレビ局もだが、物売りのスポンサーにも社会秩序というものを一考されて然るべきであろう。
朝からテレビは「放火」「親族殺人」である。老生の記憶では戦後はこれらのニュースは特異な人物の所業としてむしろ奇異に感じていたものである。現代はどうであろうか?
日常茶飯事のように広がりを見せている犯罪である。国民は「またか?」と顔をしかめてしまうだけで特別の感懐もわかないのだ。
昨日、車で下校途中の小学生群と出あった。赤信号で停車すると、横断歩道を渡る児童の中に逆立ちして、ランドセルの中身を道路に散乱させた者がいた。
さすがに児童は慌てて中身を拾い集めていたが、歩道を渡り切った集団が喝采して児童の慌てぶりを囃し立てているのだ。信号が変わったが無論、児童が拾い集めるまでは車は動けないで停車したままだ。
この情景に遭遇した老生は社会教育不備に恐ろしいものを感じた。「そんなの関係ねぇ!」が幼児児童の中で大いに流行しているようだが悪影響のほうが勝っているようでは何が流行語大賞であるか。
「関係ねぇ!」という否定語はいかなる場面に通用するものであるか。子供の教育途上において子供たちから「そんなの関係ねぇ!」と拒否する文言に親や教師たちはどのように対処するものであろうか。ただ、流行語大賞だからといって笑ってすまされるものであろうか。かならずしも裸を否定するものではないが、時と場所を考えるのが常識ある社会人というものであろう。
テレビタレントらに考えてもらいたい経済至上主義の堕落というものである。
政府官僚をはじめとする日本を代表する人物たちの行状の希薄さに薄ら寒い思いをしながら日本人は過ごさねばならぬのであろうか。 何でもありという日本ではありたくないものである。
昨晩、日本と台湾との野球を観戦した。なによりも感動させられたのは「選手たちのひたむきさ」である。日本人は「ひたむきさ」を忘却してきた感がある。児童も青少年たちに「ひたむきさ」が蘇る日はあるのか。
市長選でも「ひたむきさ」の前に当選するための「パフォーマンス」が優先されるのでは「ひたむきさ」などは「関係ねぇ、関係ねぇ!」ということになるのか。

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