本会に返されてきた「送達不明便」の謎?

2007/11/28 (Wed)
本会が配布した「このままの市政で良いのでしょうか?」なる文書をどうしても「怪文書」に仕立て上げなければならない連中がいるようだ。「怪文書」の定義とは、筆者や差出人が不明の状態で出回る匿名の文書のことをいうので、本会が発行または発信した物に関しては怪文書の類にはあたらない。本会サイトに書込みする匿名文書のことを「怪文書」というのだ。
本会に「送達不明便」として封書が届けられた。配達人は「差出人の記名は無いが中の書面から本会ではないかと思い届けた」とのこと。
問題の本会チラシを受け取られた方が、意気に感ずることがあって自らコピーされ多人に郵送されたものと推察される中の1通が本会に送達不明便として返されてきたのだ。
又「このチラシで安部市長の本質が分かった」等の内容の電話が多数かかってきて米沢市の市政に不安感を持った有権者がいたことは誠に頼もしいかぎりだ。それに比して書込みの内容は、これも米沢を憂う米沢市民の一人なのであるか。
老生ら8年生まれは、少年時代に戦中戦後の苦難の時期を余儀なく味わい、激変する世の中に生まれ落ちた世代の人達なのであろう。書込を見て「ああ言えば、ジョウ言う」とオウム真理教の某氏の言動を思い出し、その場しのぎの稚拙な理屈を返して悦に浸り、それが自由というものであるか?
ご指摘のように老生最後の選挙であるかもしれないが、残念ながら老生はますます意気軒高なのだ。体に疾患はみられないのだ。悪態や中傷にメロメロになる老生ではない。
本日の新聞に目を通す。内谷長井市長は、なぜか投票日数日前になって「広域合併の早期実現者」と鞍替えした安部米沢市長に戸惑いが隠せない。
全国的に疲弊の激しい三市五町である。合併によるメリットはどうだ。人口が見かけだけは増える勘定だが、経済的見通しはいかに。安部市長は「原点に返って」と殊勝な言葉を吐いた。安部市長の原点とは何か? 相もかわらぬ市長ゴッコであるか。
多額の費用をかけカンケートを取り、4年間何の具体策も示さなかった安部市長を容認した米沢市民であるが、他二市五町の対応はそんなに甘いものでは無いだろう。現に内谷長井市長・齋藤正三郎飯豊町長も「漠然とした話し合いは意味がない。米沢市長の考えを聞きたい。米沢市長がリーダーシップを取るべし」と安部市長の指導力に注目している。
安部市長の愚挙は米沢市民の恥として後生に残るものと心し行動してもらいたいものだ。
そして少しは我儘を通さずに「自由の旗」を撤去してもらいたい。己れにだけ吹く自由の風であってはならぬのである。庁舎使用規定には使用許可が必要だと定めてあるのだ。副市長いわく「市長はええんだ!」の文言は甚だ危険な考え方だ。
副市長も努力の人だと聞く。県職試験を2度も失敗しながら3度目の正直となった点では安部市長と同格の運命だ。
さて三市五町の合併に妨げになるものはないか?
それには懸念される防衛省問題に関与を疑われている議員がいる。その人の名を南陽市民に聞いてみることだ。南陽市屈指の建設会社「松田組」を防衛省に口聞きしたのは米沢出身の代議士だとの評判が高いのだ。これをもって福田内閣の崩壊に繋がれば、2内閣を崩壊させることになる。
「南陽小学校新築工事問題」にも疑惑のある代議士だ。政治家は金のかかる仕事だが「間尺に合わない」として止める代議士はいないのだ。余程おいしいものがあるからであろう。有権者はこぞって権力になびく。
老生は腐っても鯛だと自らを鼓舞し政治の裏表のドラマを凝視する。その精神こそが作家魂というものだと信じるからだ。

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